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紺碧の将

白神の母なる木

2009.11.11

 木村さんのリンゴの木を見た翌日、弘前から白神へと向かった。地図を頼りにして行けばよかったのに、ナビを頼ってしまったばかりに、とんでもない悪路に踏み込んでしまった。でこぼこの道を延々3時間以上も走らなければならなくなったのだ。

 私の愛車は悪路にまったく不向きだ。少し大きめの石があると、派手に車体の下にぶつかる。その都度、大きな音がして、まるでこの世の終わりのような悲鳴に聞こえた。

 「申し訳ないねえ、こんなとんでもない道に連れ込んでしまって。あとで、たんと美味しいガソリンを食べさせてあげるからなんとか耐えてくれないか。デザートだって、好きなだけ食べていいぞ。もちろん、帰ったら隅々まで磨いて撫でてやる。だから、もう少し我慢しなさい」とかなんとか言いながら、セカンドかローでノロノロと進む。後続車がしびれをきらして追い抜いていく。一般道路ではありえない事態である。

 満身創痍になりながら、エッチラオッチラと走っていると、「マザーツリー」という案内板が目に入った。その名の如く、ブナの大木がすぐ近くにあるという。どろどろになった哀れな愛車を止め、森に分け入った。

 

 屋久杉を実際に見たことはないが、写真で見る限り、樹肌はゴツゴツしていて、いかにも老人の風情だ。樹齢は数千年。それに比べて、マザーツリーは約400年。ブナだからということもあるが、樹肌もまだまだスベスベしている感じで、若い印象だ。直径は約150センチ。森の中にあって、明らかに図抜けた太さだった。

 そうか、これが母なる木なのか……。

 それにしても美しい。曲線を帯びた幹とバランスよく張り出した枝。やはり自然の造形力は人間の比ではない。見事である。

 それなのに、この木に名前を刻む輩がいた。成田行●と読める。神をも畏れぬ不届き千万なヤツ。どうせ、ろくな死に方はしないだろう。

 

 ところで、なんでも都合よく解釈する高久は、「なんとなく」あの悪路に迷い込んだこと、速度を出せないクルマに乗っていたために「マザーツリー」の案内板を見つけたことなどを総合的に勘案し、どうやら母なる木が私を呼び寄せたのではないか、と思っている。もちろん、根拠はないし、あの木に会わなければならない特別の理由もない。

 でも、会えて良かった。それだけはまちがいない。

(091111 第127回))

 

 

 

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