山寺常山が住んだ跡形
長野県松代町にある旧大本営地下壕へ行こうとしたら、思いがけず象山神社に寄ってしまったことは前回書いた。
象山神社を出て、旧大本営地下壕へ向かって歩き始めるや、趣のある長屋門に出くわした。表札を見ると、「山寺常山邸」とある。無言の招きにいざなわれ、門をくぐった。
江戸時代の終わり頃、江戸に出て佐久間象山らと交わった山寺常山の邸宅跡と書かれている。山寺常山の名は知らなかった。読めば、佐久間象山、鎌原桐山とともに「松代の三山」と讃えられる人物とある。維新後、常山は中央政府から出仕を要請されるが固辞し、松代に留まって塾を開き、門人の教育に努めた。30センチはあろうかという長く白い顎ひげが印象的だ。
長野は教育熱心というイメージがあるが、ここにもその源流があった。
泉水(池)が広がり、傍らに書院がある。書院の茶室から見る池の光景が絵のようだ。ここでお茶でも飲みながらゴロゴロできたら、さぞかし風流だろうなと思わせる。
どうして長野には文人墨客が多いのだろう。山ばかりでさしたる産業もなく、かつては姥捨てもあったというのに……(失礼)。なぜ?
いや、だからこそ、なのだろう。教育を施さなければ食べていけなかったという事情もあったのではないか。
地域の人物を顕彰する姿勢にも共感を覚えた。
※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」連載中。 第27話は「こんな広い世の中に、自分は一人しかいない」。
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(180826 第837回 写真上は山寺常山邸の茶室、下は外観と入り口)