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紺碧の将

不老ふ死温泉で、ただ感じる生き物になる

2009.11.15

 ぜひとも行ってみたい温泉があった。

 不老ふ死温泉。ちょうど白神からクルマで20分くらいのところにあり、日本海に面している。

 この温泉の魅力は、海の間近に露天風呂があること。温泉に浸かりながら、日本海の荒波を肌で感じ、日が沈むところを見たいものだと前々から思っていた。

 そして、幸運にもキャンセルがあったらしく、急遽、部屋がとれたのであった。

 

 広いロビーはどこにでもある雰囲気だ。おみやげ売場があり、雑然としている。はっきり言って、あの空間の意味がまったくない。あってもなくても同じなら、ない方がいい。あるいは、団体客の集合場所と割り切るとか。古来、日本では公共のスペースという概念が希薄なので、日本旅館で素敵なロビーをもつところは少ない。ここも例に漏れず、である。

 建物は古いが、まあまあ清潔に保たれている。その点は安堵。

 話題が脇道にそれるが、掃除がゆきとどかない旅館は論外だ。ついでに言えば、日本の旅館に特有の「スリッパの共用」はどうにかならないものか。私はあれが嫌で、浴衣姿の時もくるぶしくらいまでの短い靴下をはく。

 案内された部屋は海に面している。荒波が海面を踊っているのが見えた。「あそこが露天風呂か。なるほどダイナミック」と感懐にふけっていたのもつかの間、直後に落胆することとなる。波が荒く、露天風呂は閉鎖されていたのだ。海水が湯船に入り、水温が低くなってしまうらしい。私は基本的に突飛なことも好きな人間だが、冷たい温泉に入りたいとは思わない。

 せめて日が沈むところを写したいと思い、パチリ。それが右上の写真である。

 

 翌朝は波が鎮まり、ついに念願かなった。

 湯船に浸かりながら水平線を眺めていると、海が生き物のように見えてくる。実際、生き物なのだろう。呼吸し、あるリズムにしたがって脈を打ち、時に感情を露わにする。目線が低くなっただけで、風景の見え方がまるで変わってくる。

 空を見上げると、海ネコが悠然と舞っている。空中でホバリングしたり、ジェットコースターのように滑らかに下降したり……。その流麗な飛び方を見ているだけで時間を忘れてしまう。

 何も考えず、ぼーっとしていると、そのうち自分が海や海鳥と同じ存在だと思えてくる。思えてくるというより、感じてくる。「思い」も「考え」もない。「感じる」だけ。詩人や歌人なら言葉にするのだろうが、私はただ感じるだけ。感じる物体になる。

(091115 第128回))

 

 

 

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