宮田大君の壮絶な弓さばき
取材した人が、ますます活躍しているのを見るのは、気分のいいものである。
『fooga』で音大時代の宮田大君を取材したことがあった。当時、すでにその卓越した技術と表現力は一頭抜きん出ていた。まだニキビの残る若者は拙い言葉ながらも音楽に対する思いを語ってくれた。どうしても特集記事はある程度の年齢に達した人が多くなってしまうが、そのなかにあって大君はとびきり若かった。
私は「若きチェリストの春秋」と題した記事を仕上げた。事実、彼の前には豊かな春秋(年月)が広がっていると感じたのだ。
その後、ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールを制して世界レベルに駆け上り、早々とプロデビューした。
先日、紀尾井ホールでのリサイタルを聴いた。それまでにも何度か彼の演奏を聴いていたが、その日は格段にスケールアップした印象を受けた。それまでは、性格が良すぎて、いわゆる誰もが知る名曲では個性を出しにくいと思っていた。バッハの無伴奏もドヴォルザークのコンチェルトも、私にとってはいくぶんかの不満が残った。
しかし、その日のプログラムは、最初のバッハを除き、すべて近現代の曲。それが大君にピタリと合ったのだ。特にリゲティの無伴奏チェロ・ソナタには脱帽した。恐ろしいほどの緊張感のあるフレーズの合間にピーンと張り詰めた無音があり、弓の動きがわからないほどの高速超絶技巧が続く。いつしか息をするのを忘れるくらい、引き込まれていた。まるで現代彫刻家による複雑な形をした作品のような曲を、大君はじつに輪郭鮮やかに表現していた。途中から弓が刀のように見えたほどだ。
その後、黛敏郎の「BUNRAKU」、ブリテンの無伴奏チェロ・ソナタと続いた。チェロの独奏でこれほど魅了されたのは久しぶりのことだ。
ただひとつ苦言を。アンコールの前で曲の説明をしていたが、あれは余計だった。せっかく右脳全開になっているのに、言葉が入ってくることによって左脳のスイッチが入ってしまう。ひとことも喋らず聴衆を魅了する、それが音楽家ではないだろうか。
※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」連載中。第30話は「人との間合いをはかる」。
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(181022 第851回)