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紺碧の将

神も仏も畏れぬ

2009.12.26

 サラ・ブライトマンの新しいDVDを観ていた。ウィーンのシュテファン寺院大聖堂で行われたコンサートである。

 つくづく思うのは、イギリス女とイタリア男というのはなかなかの組み合わせだな、ということ。もちろん、ビジュアルでの話である。アレッサンドロ・サフィーナという伊達男の鑑みたいなテナー歌手とサラのデュエットを見て、そう思った。流し目なんぞを繰り出し、互いに見とれ合いながら熱唱している姿はまさにベタそのものだが、まったく嫌味がない。

 世界にあまたいる民族の中で、どうしてイタリア男だけがあんなに美的な外見を授かったのだろう。もちろん、例外があることは言うまでもないが。例えば、アングロサクソンの典型的な美男を見ても、生身の人間という感じがせず、リアリティーがないが、イタリア男はとてもリアリティーがある。ローマ帝国時代の英雄そのままの顔をした輩がたくさんいるのだ。サッカーのイタリア代表も、「顔で選んでいるのか!」と揶揄したくなるほど。そう言えば、以前ミラノに行った時、警察官までがカッコつけているのが驚きだった。パトカーはもちろん赤のアルファロメオ。道行く人々を眺めていると、おばあちゃんまでが颯爽としていた。とにかくお洒落であることが価値の上位にある。濃淡のモノトーンで組み合わせた上下に深紅のストールをさらりと巻いた70歳くらいのおばあちゃんが背筋をピンと伸ばして歩いていたのがとても印象的だった。

 

 何の話だったかな?

 そうだ、安土城趾の続きだった。

 信長がいかに奇想天外の男だったか、それは彼の宗教観を見てもわかる。安土城の天守閣には神道、仏教、キリスト教、儒教、道教が渾然一体となっていたが、神仏習合の極みみたいなことを平然とやってのける一方、大手道の石段には多くの石仏が単なる築城の素材として用いられていた。

 仏も神も恐れない信長らしい。パフォーマンスという見方もあるだろうが、比叡山を焼き尽くしたほどの男だから、宗教はどうでも良かったのだろう。

 右上の写真は、釈迦の足跡を石に刻んだ仏足石。本来は信仰の対象だが、信長はそれさえもただの建築部材として使っていた。仏教を篤く信仰していた建築労働者は冷や汗をかいていただろう。

 信長、じつに面白く、怖ろしい男だ。

(091226 第137回)

 

 

 

 

 

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