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紺碧の将

一日の終わりのローソクタイム

2019.01.16

「日に三省す」という言葉があるが、私の場合は「日に一省す」。夜9時頃から10時15分くらいまでの、いわゆる〝ローソクタイム〟である。

 名前のとおり、ローソクを灯す時間。まず、欠かせない物がある。右写真にもあるように、ローソク、バリのお香、盆栽(ケヤキ・銘は左馬之助)、そしてストレートウイスキーの4つをテーブルの上に置き、照明をすべて落として、ローソクの光だけにする。

 音楽を選ぶのも楽しみだ。ほとんどがクラシックだが、稀にジャズもあるし、穏やかなポップスの場合もある。朝一番はバロック〜古典と決まっているため、それらをかけることはない。ベートーヴェン、ブラームス以降のドイツ音楽、ロシアや東欧もの、近代フランスの室内楽、バルトーク以降の近・現代など、なんでもいい。

 じっくり聴く場合もあれば、ただのBGMになる場合もある。考えごとをしている時はまったく耳に入ってこない。細部まで明瞭に聴き取れる時もある。なんでもいいのだ。その日の気分に合わせれば。

 一日を振り返る。だいたい、同じことの繰り返しが多いが、必ずなんらかのアクセントはある。それを思い出し、反芻する。それが良かったかどうか、評価はしない。

 未来のことに思いを馳せる場合もある。こうしようか、ああしようか、こんなものを書きたいな、とか。

 さまざまな人が脳裏に現れては消えていく。これまでに関わった人は、すべて「袖触れ合うも他生の縁」、あとから振り返ると、それぞれに出会った意味があることがわかる。

 気分も落ち着き、眠りに入ろうかという頃、置き時計を間近で見ると、だいたい10時を過ぎている。その後は朝まで爆睡。心身ともにリセットされ、ふたたび同じような一日が始まる。

「当たり前のことが当たり前にできること。それが幸せなのよ」と映画『日々是好日』のなかで樹木希林さんが言っていた。

 ほんとうにそう思う。

(190116 第872回)

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