作為の落とし穴
朝、とあるホテルで目覚めた。薄ぼんやりした視界の端に簡易冷蔵庫が見える。冷蔵庫の扉にシールが貼ってあり、目を凝らすと、左側にペットボトルの絵が、中央上に「冷蔵庫内のミネラルウォーターは」という字がある。私はいまもって視力良好で、間近にある物以外、すべてはっきり見える。視界のなかでボヤケている部分がほとんどないのだ。
さて、続きの文字が気になったが、目を凝らしても読めない。だいたい内容は察しがついたが、仕事柄というか、哀しい性というか、確かめられずにいられず、照明をつけ近づいて読んだ。
なんのことはない。「ご自由にお召し上がりくださいませ。」とあり、その背景に濃い目のブルーで筆の刷毛を引いたようなデザインが施されている。
はは~ん、と思った。よけいなことをしたことによって、かえって読みづらくしているのだ。はたして、そういうものを「グッド・デザイン」というのだろうか。
パソコンでデザインをすることが普及し始めた頃、やたら文字を立体的にしたり、意味もない装飾を施すことがまかりとおった。初心者ほどそういうことをやりたがる。やればやるほどダサくなるということがわからず。今でもときどきそういうものを見かける。安っぽいし、バカっぽい。
やはりデザインも本質的であるべきだ。伝えたい内容をどう的確に、印象良く、発信者らしい独自性をもって表現できるか、それこそがデザイナーの腕の見せどころである。しかし、チャチャッとよけいなことを重ね、「手間をかけたのだから、これでいいんだ」と割り切ってしまう仕事があまりに多い。
このことは、デザインの話に限らない。安直によけいなことをすればするほど、本質から遠ざかる。
※うーにゃん先生、自己啓発セミナーに物申す。
うーにゃん先生流マインドフルネス「日々の生活が人をつくる」
https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/1055
「美し人」公式サイトの「美しい日本のことば」をご覧ください。その名のとおり、日本人が忘れてはいけない、文化遺産ともいうべき美しい言葉の数々が紹介されています。
https://www.umashi-bito.or.jp/column/
(190323 第887回)