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紺碧の将

音楽と風景

2010.04.14

 前回は、「ことばのちから」と題した松山の街づくりのことを書いた。

 今回も松山ネタ。たぶん、あと2回くらいは松山ネタが続くと思う。

 

 子供の頃から歴史が好きで、男の子の例にもれず、源平合戦や戦国時代の話が無性に好きだった。今で言う「レキジョ」ならぬ、「レキオ」である。

 でも、不思議なもので、子供の頃好きだった源義経や豊臣秀吉や石田三成は今、さほど好きではない。むしろ、家康などが好きになっている。いろいろなことがわかってくると、作られたイメージに左右されなくなるのだろう。

 ところで、武将といえば、ずっと武田信玄が好きだった。

 家族を犠牲にしてファミリーを守るところなんか、『ゴッド・ファーザー』のマイケル・コルレオーネにも似ている。信玄は相当孤独だったと思う。実の父を追放し、わが子を幽閉し、死においやった。そういうことがやがて武田24将につながるのだろう。私は孤独な男の話が好きなのである。マイケルもファミリーを守るために弟に手をかけ、妻にも愛想をつかされた。

 やがて、信玄の子勝頼は力を過信して、時代の最先端技術をうまく採用したニューリーダー(織田信長)に敗れてしまう。

 

 話がそれてしまった。松山城であった。

 なにがいいかって、遠くから天守閣を見ることができるというのがいい。

 はじめ、私は二の丸から歩いて山頂まで登ったが、けっこう汗をかいた。ほとんどの人はロープウェーかロフトで上がっている。ロープウェーがあると聞くと、なんとなく風情が削がれる感じがしないでもないが、ロープウェーの発着所はあまり視覚に入らないよう、うまく配されている。

 松山城の築城は、賤ヶ岳七本槍に数えられた加藤嘉明。関ヶ原合戦の後のことである。

 

 天守閣の周りの広場はまさにこの世の楽園のごとき光景だった。なにしろ、桜が満開で、その上、松山の街が一望にできるのだ。ゴミもほとんどない。咲き誇る桜の隙間から天守閣が見えている、なんていう図は日本人の心を直撃しないはずがないのだ。

 ふだん、何かと忙しくしている私だが、ipod を聞きながら、何時間も美しい光景に見とれていた。そう、音楽と風景は絶妙にマッチするのである。

 山道を登る時は、モーツァルトの第38番『プラハ』。ぐんぐんと上へ向かっている感じがピッタリだ。一方、夕暮れの頃はベートーヴェンの『第九』。徐々に日が落ちる時と最後の合唱があまりにもドンピシャで、城にしても音楽にしても、人類の遺産とはかくも素晴らしいものかと感動の連続であった。

(100414 第161 写真は、夕暮れ時の松山城)

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