人生の終末を迎えた男たちの哀しい性
川端康成はこっそりこういう作品を書いていたのか、少々驚き、同時に妙な親近感を抱くことになった。
『眠れる美女』に収められた3つの短編は、いずれも一読しただけで強烈な印象の残る、際立った個性を持った作品ばかりである。
表題作がいい。この文庫本の解説はなんと三島由紀夫が書いているのだが、「私はかつてこれほど反人間的主義の作品を読んだことがない」と書いている。三島由紀夫をして、そこまで言わしめる作品とはいかなるものか。
暗闇に波の音が響く、海辺にほど近いところにある淫売宿がこの作品の舞台である。ただし、この宿は通常のそれではない。すでに男性としての力を失った老人ばかりが客であり、迎える女性は「睡眠薬を飲まされ、ただ眠っているだけの若い女の子」である。そこには性行為がいっさいない。老人たちは、死んだように眠っている女の子に添い寝することだけを許される。
「たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ。眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ」と宿の女が江口老人に語る言葉がこの作品の冒頭部分だが、「客」はただ眠っているだけでも生命の輝きを発散させる若い女の子を間近にして、煩悶し、さまざまな想念が去来するにまかせるだけである。「安心できるお客様」と形容された老人たちの心に、冷たい風が去来する。「安心できるお客様」などにはなりたくないが、それも世の常。私も安心できる人になっているかもしれない。
それにしても川端の描写はスゴイ。思わずカタカナで書いてしまったが、これほど圧倒的な頽廃に耽溺している性の世界があろうか。この短い作品に登場する6人の眠った女の子は、いずれもただ眠っているだけなのに、それぞれの個性が浮き彫りにされている。この子たちが、突如目を覚ましそうなほどに、描写が生き生きとしているのだ。何も語らず、ときどき寝言を言ったり、わずかに体を動かす程度なのに、それぞれの個性がきちんと描かれているのだ。川端の人間を見る眼差しが並ではないことが如実にわかる。
若い女に添い寝することだけを許された老人は、そこでいったい何を考えるのだろう。老人の入り口には立っているが、まだ正真正銘の老人になったことがないのでわからない。しかし、老人たちは、みなぎる生命力を目前にして、自らの死を思うのだろう。そのパラドックスを体験するために、その宿に足繁く通う姿は哀れでもあり、また人間の業をも感じさせる。
ここで、三島由紀夫に苦言を呈したい。この作品は、「きわめて人間的主義の作品だ」と。
他に、いきなり女の片腕を自分のそれと交換した男を描いた「片腕」も収められている。この短編は、宮本輝が選んだ「心に残る物語 日本文学秀作選」にも名を連ねている。