論語の一言
わが師(勝手にそう決めている)・田口佳史先生の新著の売り上げがとても好調のようで、弟子(勝手にそう言っている)として、嬉しさもひとしおである。
『論語の一言』というタイトルにもあるように、現代に有効な論語の「肝」を田口先生が解釈したものである。
やはり現代人の多くは、生きる羅針盤を失っているのだろう。今、『論語』が注目されている。『一個人』という雑誌の最新号の特集記事も論語だ。
なにしろ、『論語』には不易流行の真理がぎっしり詰まっている。人間のあり方を突き詰める学問はいくつかあるのだろうが、『論語』は『老子』とならんで、双璧をなしていると言っていい。指導者論としても、マキャヴェリの『君子論』より普遍性がある。
難点といえば、かなり前に書かれたということもあって、わかりにくいということだろう。
しかし、この本は、身を賭して中国古典思想を学んできた田口先生ならではの咀嚼により、とておもわかりやすい。
例えば、こうだ。
──他者に自分の人生を握られるほど、情けないことはありませんね。そうならないよう、「自己の確立」を目指す。ようするに、自分が満足して、幸せに生きるために学ぶ。そこに学びの意義がある、ということです。
これは、「学びによって、自己の最善を他者のために尽くしきることのできる、徳のある人間になること」と矛盾するようですが、そんなことはありません。自分がちゃんと確立されていなければ、人を救うことなどできないからです。逆説的な言い方になりますが、「自己の確立」とは他者を救う方法でもあるのです。
「四、自己の確立を志す」の中で、学びの本質をそのように喝破している。
子どもに、「どうして学ぶ必要があるの?」と問われたら、この言葉を自分なりの言葉にして返せばいい。
『論語』は大人たちだけに有効なのではない。むしろ、子どもたちにこそ有効だと言えるだろう。
以下、田口先生のブログから引用する。
──江戸時代の教育と現代の教育、特に幼年教育を比較すると、現代の教育が如何に人間教育の本質から外れているかが良く解ります。
対比してみましょう。
■幼年教育とは何か
<現代> やさしい事から教える、その年代で必要な知識を
<江戸> 基本をしっかり学ぶ、身に付くのに長時間かかる事を
■こども
<現代> こどもはよりこどもらしく
<江戸> こどもはより人間らしく
■学ぶ目的
<現代> より良い進学の為の学力づくり
<江戸> より良い人生の為の基礎づくり
■教育とは
<現代> 試験に対する教育
<江戸> 人間に対する教育
■教育姿勢
<現代> 教える教育、教師主体、教師の精神的重圧
<江戸> 学ぶ教育、生徒主体、生徒の天性天分の発揮
■結果
<現代> 試験には強いが人間としての基本は出来ていない。時には試験の不合格は人間であることまで否定。
<江戸> 試験には弱いが人間としての基本は出来ている。
こういう教育が望まれるが、これを目指しているのは、本ブログの前回に紹介した日本創新党だけである。
文部科学省の皆さん、ぜひご一考ください。
田口佳史氏のブログ
http://www.tao-club.net/blog.shtml
(100515 第168 写真は我が家の近くの坂の上の雲と『論語の一言』田口佳史著)