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紺碧の将

娘への愛が至高の芸術に昇華

2019.09.01

 前回書いたように、私は娘が生まれた日から成長記録を文章で綴ってきたが、岸田劉生(1891―1929)は絵画で娘への愛情を表現した。自分と天才画家・岸田劉生を並べるのは傲岸不遜もはなはだしいが、拙著『父発、娘行き』を刊行した直後に始まった「岸田劉生展」(東京ステーションギャラリー)に奇妙な符合を感じている。

 岸田劉生が書いた麗子像を初めて見たのはいつだったか。おそらく学校の教科書か切手の図案だったと思う。

 ギョッとした。描かれている女の子は可愛いというより、得体の知れない妖気を漂わせていると感じた。さかなクンなら「ギョギョギョッ」と言ったにちがいない。

 ところが、何度も見ているうちに、画家の娘に対する愛情がひしひしと感じられるようになった。いつしか脳裏にくっきりとこびりついていた。まるで最初は抵抗感があったパクチーが、ある日好きになっていたのと似ている。

 会場には5歳のときの麗子坐像が展示されている。重要文化財に指定されているアレである。作品の解説に、後に麗子が語った言葉が書かれていた。曰く、正座をしていて脚がしびれ、あまりの辛さに涙が出てきたが、父に知られるのがいやで上を向いていた。それでも父は一心不乱に私の着物を描いていた。そんな内容だった。

 5歳の女の子がそんなふうに思いながら、父のモデルを懸命に務めていたのだ。麗子が生まれたとき、劉生は「終に女児生る。嬉しかった。只嬉しかった」と語っている。それならもうちょっと愛娘の心中を察してあげてよと言いたくもなるが、そんなことはおかまいなしなのが画家たる所以なのだろう。長嶋茂雄は打席に入る前、ベンチに座っている選手たちの足をズカズカと踏みながら行ったというが、他人に気を遣っているようでは大業は成せないのだろう。その点、私はまだまだ常人である。

 さて、劉生の絵である。ゴッホやゴーギャン、マティスら後期印象派に惹かれたあと、徹底した細密描写による写実表現を突き詰めた。麗子誕生を契機に、自分独自の作風を開拓するが、ひとつの作風の高みに登ると、いったん下山し、次なる峰を目指す。初期から晩年に至るまで、だれのものでもない、自分の作画を模索し続けた。茨の道ではあったろうが、成果はあまりにも大きい。

 久しぶりに見てみたいと思っていた『道路と土手と塀(切通之写生)』を見ることができ、感無量。大地の土の塊、量感(マッス)は驚くほどリアルで、彼が得意とした肖像画の肉の盛り上がりにも通ずる。真横に伸びる電線の影で地面の凸凹を表すなど、技術も巧み。

 この絵の舞台は代々木4丁目らしい。ということは、参宮橋あたり。こんど探してみようかな。

 全力疾走を続けた岸田劉生は、38歳という若さで生涯を閉じた。しかし、功績は並みの人間が何百年かかろうともできないことである。

 孤高の人生にますます興味が湧いてきた。

 ギャラリーショップで購入した『肖像画の不思議 麗子と麗子像』(岸田夏子=劉生の孫で麗子の娘)と『父 岸田劉生』(岸田麗子)を読むのが楽しみだ。

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

 

『父発、娘行き』発売中

https://japanist.shop-pro.jp/?pid=145155659

 

『葉っぱは見えるが根っこは見えない』発売中

https://www.compass-point.jp/book/happa.html

 

「美し人」公式サイトの「美しい日本のことば」は日本人が忘れてはいけない、文化遺産ともいうべき美しい言葉の数々が紹介されています。

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

(190901 第928回 写真上は『麗子坐像(麗子五歳之像』、下は『道路と土手と塀(切通之写生)』)

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