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紺碧の将

『がきデカ』が受け入れられた時代

2019.09.29

 いつものように友人とニューロン的会話を楽しんでいた。

 ニューロン的会話とは、ニューロン(神経細胞)のようにある話題から別の話題へ縦横無尽につながっていく会話を言い、私が勝手につけた名称である。

 これができる相手はそうそういない。守備範囲の広さが問われるし(リベラルアーツともいう)、ある程度、興味の対象が重なり合っていないと話は展開しない。

 ある日、あろうことか、『がきデカ』のことで盛り上がった。その昔、私も彼もそのマンガが好きだったのである。知らない人のために簡単に説明すれば、おまわりさんならぬ、こまわり君というエロく下品な主人公が活躍?するナンセンスマンガである。青年時代の私は何十巻も買い揃えていた。

「練馬名物股ぐら納豆」「八丈島のきょん」「死刑!」など、定番のシーンがいくつもある。私は世界の古典名作が好きな一方、クダラないナンセンスものも好きだったのだ。

 懐かしさに掻き立てられ、ネットで検索した。欲しいときに欲しい情報が得られるのは、現代の利点である(悪い点でもあるが)。

 驚いた。目が点になった。その猥雑さ、下品さ、クダラなさ、過激さ、どれをとっても今の世だったら炎上ものである。なにしろアンパンマンのアンパンチが暴力的だと批判される世の中だ。そういうことをのたまう人が『がきデカ』を見たら、一気に頭に血が昇り、昏倒するにちがいない。

 よく、あのようなマンガが世間に受け入れられたものだ。たかだか数十年前のことなのに、隔世の感がある。

 当時は日本人もおおらかだったのだ。マンガごときで目くじらをたてるなんて野暮の骨頂と思っている人が多かったにちがいない。

 今は、あれもダメこれもダメと、良識ぶった人たちが大きな声を上げる。少しでも公衆道徳?を害すると思われるものはすぐに抹殺される。人間の暗部に目をそらす者が、人間の善なる部分を見出だせるはずもなかろう。そういえば、若い人たちがつくる流行歌の歌詞もきれいごとばかりだ。社会がそうさせるのか。ローリング・ストーンズやパンクロックを聴いてきた私は、反射的に「ウソクサイ」と思ってしまう。本音を語れない世の中なのだ。窮屈な世の中になったものだ。だいたい、どういう人が眉間に縦じわを寄せながら糾弾しているかは考えずともわかるだろう。

 

 ところでここが問題なのだが、そういう世の中になって、公序良俗が保たれているか?

 現実は年々凶悪犯罪は増えているし、一昔前では考えられないような変質者が多くなった。心に病をもつ人も激増した。

 こうなったら全国の図書館に『がきデカ』を常備するとか、各自治体の教育委員会必読の書とするなど、〝英断〟を敢行するしかないかも。そうすれば、世の中が好転するきっかけになるのではないかと考える私は、やはり頭がおかしいのだろうか。

 

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●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

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●『結果をだす男 中田宏の思考と行動

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(190929 第935回)

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