建築の不易流行
前々回の小欄に「ゴミ溜めのようなおぞましい景観ばかりになってしまった」と書いたが、もちろん日本のすべてがそうではない。観光客が年々増加するなど、日本もようやく「外からの目」を意識するようになった結果、美観を保つことに意識を向けることが多くなってきたと感じる。
デビュー前後の俳優・女優の写真を見てもわかるが、人から見られることを意識していなかった時期と見られることを意識してからの容姿・表情のちがいは歴然としている。人の目によって人が磨かれる。だから、いつも同じ人としか会わない人は、どこかくすんでいる。野暮ったい。
人が住む場所の景観もそうだろう。パリの美しさは多くの観光客が来るからこそ、なのだ。なんとフランスの観光客数は年間8400万人という。そのことがフランス人を洗練させ、一筋縄ではいかない国民にする一助になったことは疑いえない。
見るたびに惚れ惚れするのが東京駅丸の内側の駅舎である。設計は辰野金吾。1914(大正3)年に創建された。全体のプロポーションといい、細部に至る装飾といい、じつに優雅で美しい。
空襲により南北のドームと屋根・内装を焼失し、戦後、改修されたが、3階建ての駅舎は2階建てにされ、ドームも失われたままだった。
そんな状況下、丸の内駅舎をめぐって旧国鉄時代からさまざまな意見や動きがあり、超高層ビルに建て替えようという案が検討されたといわれる。しかし、だれの推進によるものかわからないが、最先端の技術をもって創建当時の姿を復元するという案に決定し、2012年、復元工事が終了した。
これこそ不易流行である。守るべきものは守り、新しく変えるべきところは変える。そのバランスの妙が伝統と革新を際立たせる。ただ古いものを守るだけでは古色蒼然とし、やみくもに新しい流れにのるのは愚の骨頂。やはり芭蕉先生は慧眼であった。
東京駅が完成した頃、なにかの雑誌で大手ゼネコン鹿島が行った地下の免震工事の詳細を読んだことがある。私はもともとそういうジャンルには不案内だし、詳しいことは覚えていないが、「日本のゼネコンはすごい!」と驚いた記憶がある。ゼネコンと聞けば、談合ばかりして公金にタカる組織という連想が働いていたが、悪いことをしているばかりではないのだな、と(あたりまえのことだが)。
あらためて外観やドームの内側・天井などをつぶさに見ると、「ああ、なんて素敵なデザインなのだろう」と思う。美意識が極度に洗練されている。配色が絶妙であるうえ、細かい装飾は職人技の粋。まったく嫌味になっていない。
丸の内北口に隣接する東京ステーションギャラリーは、創建当時のレンガがそのまま使われているが、最新の新建材によるピカピカの内装よりどれほど格調高いことか。東京ステーションホテルに泊まったことはないが、品格の高さは周囲からも伝わってくる。
丸の内駅舎はマグニチュード7.9の関東大震災でも被害を受けなかった。さらに最新の免震工事によって盤石となった感がある。
こういう税金の使い方なら賛成だ。
じつはもうひとつ、復元できたらいいなと思うものがあるが、それは次回に。
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(200131 第966回 写真下はドームの天井)