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紺碧の将

吉田松陰が現代に生きていたら

2010.10.10

 取材で防府市を訪れる機会があり、翌日、防府天満宮、国分寺、毛利氏庭園の後、萩まで足を伸ばした。

 日曜日だったこともあってか、萩の松下村塾跡地や松陰神社は人だかりだった。それも若いカップルが目立っていた。

 今、戦国ブームではあっても、吉田松陰は武将ではないのだから、ブームの対照ではないだろう。松陰が果たした役割はあまりにも大きいが、幕末〜明治維新という壮大なドラマの中にあってはいかんせん地味である。維新後の国政システムの構築も地味であるが、幕末の志士たちの思想的支柱であった松陰も“血湧き肉躍る”というドラマ性には決定的に欠ける。それでもなお、あれだけの人が松陰のおもかげを追ってあの地にいたということが嬉しい。しかも、萩は日本海に面した小さな町で、山口市からも防府市からも鉄道でつながっていない。車を持っている人ならいざ知らず、観光客にとって、かなり不便な地にあるということは否めない。そういう場所に多くの観光客がいたという事実が嬉しいのである。

 

 さて、吉田松陰の事績については『Japanist』第8号の「偉大な日本人列伝」に譲るとして、今回は「もし、今、松陰が生きていたら」という仮定の話をしたい。

 

 日本の政治は混迷している。なにもかもメチャクチャである。

 特に中国に対する日本政府の対応を見ると、ここまで人間は誇りを失えるものなのか! と驚くばかりである。よくもあの体たらくで舌をかみ切らないものだと呆れるばかりである。

 松陰が今、生きていたら、どう対応したであろうか。

●自ら中国に密入国し、取り調べの場で尖閣諸島が日本固有の領土であることを訴える。

●教え子たちにクーデターを敢行させ、政権打倒の気運をつくる。

●自らが国会で証人喚問される状況を作り、国会で国民に向かって「決起」を呼びかける。

 などと、いくつか考えられるが、最終的には、“誇りある日本人の集合体”をめざし、政権を作ることを目指すだろう。

 と考えた時、今の国会議員の中で、それに足る人物はいるだろうか、というジレンマにぶつかる。

 当然、いない。

 では、誰か?

 いる、いる。在野にいる。自律反転運動に入った日本には、草莽の中に有為の人物がいるのである。われわれ国民は、それが誰なのかを見極める義務がある。

(101010 第198回 写真は、久坂玄瑞の発議で、塾生の松浦松洞が松陰の肖像を描き、松陰が「賛」をほどこした「自賛肖像」)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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