大の親友になった「平均律クラヴィーア曲集」
毎月1曲選び、集中的に聴いているということを以前、小欄で書いた。選ぶ基準は、ずっと気になっているがとっつきにくいなどの理由で少し距離があるもの。特にクラシックだけと決めているわけではないが、1ヶ月聴き続けられるのはクラシック以外ない。音楽好きの友人も1曲選び、つごう2曲を1ヶ月間聴き続けることにしている。
今年の1月、私はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」を選んだ。それまでも贔屓の曲だったが、「もっと仲良くなりたい、全体像を把握したい、旋律を覚えたい、バッハの表現する宇宙を体感したい」といくつもの理由があってそれを選んだ。
「平均律クラヴィーア曲集」はバッハの11歳の息子フリーデン君の練習のために作曲されたもの。え? これが息子のための練習曲?
そうなのだ。昔の子供は大人扱いされていたのだ。
12の調性✕それぞれ長調と短調(具体的にはハ長調、ハ短調、嬰ハ長調、嬰ハ短調、ニ長調、ニ短調、変ホ長調、変ホ短調、ホ長調、ホ短調、ヘ長調、ヘ短調、嬰ヘ長調、嬰ヘ短調、ト長調、ト短調、変イ長調、嬰ト短調、イ長調、イ短調、変ロ長調、変ロ短調、ロ長調、ロ短調)✕それぞれ前奏曲とフーガ✕全2巻、つごう96曲で構成されている。長調と短調の調性感覚を身につけるため、意図的にそのような構成にしたという。
聴けば聴くほど心身に染み込んでくる。みずみずしい潤いと活力が自分の細胞に沁み渡ってくれるのがわかる。ただの音の連なりなのに、どうしてこんなに心に響くのだろう? と「?」の連続だ。
本日アップした小サイト内の連載記事「死ぬまでに読むべき300冊の本」で紹介した佐治晴夫氏の『宇宙のカケラ』でも触れたが、グールドによる第2巻のハ長調の前奏曲とフーガのレコードが、1977年、地球外生命体へ向けて宇宙へ飛んだボイジャー号に積み込まれている。それを提案したのが宇宙物理学者の佐治氏であることをそのコラムにも書いた。
この曲の楽譜は、なんとバッハが死んでから32年後、26歳のモーツァルトが、ある楽譜収集家のライブラリーで見つけたと言われる。その後、メンデルスゾーンによってバッハの偉業の全体像が発掘されるまで、一部の人にしか知られていなかったというのはほんとうなのだろうか。
ところで、「平均律クラヴィーア」とは正確な日本語訳ではない。英語では〝The Well Temperd Clavier〟つまり、よく調律されたクラヴィーアとあるだけで、平均律で調律されたとは書かれていない。だれが訳したか知らないが、「よく調律された」のであれば「平均律だろう」と思ったのだろう。本来、和音が美しくなるよう調律するのであれば、純正律以外にない。しかし、それだと自由に移調や転調ができない。純正律で調律すると弾ける曲が限られてしまう。そこで和音が多少濁ってもいいから、一台のピアノですべての調性が弾けるように調律されたのが平均律である。くだんの友人は「平均律でなく妥協律」だと言うが、言い得て妙だ。
19世紀のピアニスト、ハンス・フォン・ビューローは、この曲集を「ピアノの旧約聖書」と言った(ちなみに新約聖書はベートーヴェンの32曲のソナタ)。
ずっとグールド盤だけを聴いていたが、今回、いろいろな演奏者のCDを集めた。グルダ、バレンボイム、リヒテル、コープマン、メジューエワ、アファナシエフ……。もちろん、基本となるのはグールド。チェンバロ的な趣きを出すためか、スタッカート風に淡々と表現しているが、単調に陥っていない。これはとんでもないことだ。やはりグールドは破格だ。比類がない。一音一音にバッハの魂が宿っているかのようだ。ほかにお気に入りはグルダとバレンボイム。
友人は、さらに理解を深めるため楽譜を手に入れた。私も負けてはいられないと(勝負してどうする?)楽譜を買った。
以来、ときどき音を聴きながら譜面を追いかける。この曲集はポリフォニー(多声音楽)の極みで、特にフーガではいくつものメロディー(声部)が同時に進行するが、あたかも多くの登場人物が複雑に絡み合う小説のようでもある。譜面を見ていると、そういうことが視覚的に浮かび上がってくる。
この曲集は一生聞き続けるだろう。それでも全体像はつかめないにちがいない。佐治氏も言っているように、まさしくこの曲集は宇宙のような広がりと深さ、緻密さを併せ持っている。がっぷり四つに組む相手として不足はない。
本サイトの髙久の連載記事
◆ネコが若い女性に禅を指南 「うーにゃん先生の心のマッサージ」
髙久の近作
●『FINDING VENUS ガラスで表現する命の根源と女性性』
お薦めの記事
(200228 第973回 写真上は「平均律クラヴィーア曲集」の譜面、中はバッハの自費額の表紙、下は私のCDファイル)