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紺碧の将

時代の変わり目の仕事の変わり目

2020.04.16

 時代の移り変わりによって、世の中から消えていく職業がある。私が関わる仕事においても、写植、版下、製版、写真の現像など、じつに多くの職種が消えていった。

 仕事がなくなる――、これは想像を絶する苦しみであろう。

 現在、中国発の新型ウイルス禍によって多くの人が仕事を失いつつある。一日も早く終息し、当たり前のように自分の仕事ができる日が来てほしいと願うばかりである。

 

 江戸の幕藩体制が崩壊し、明治の近代国家へ。このときも膨大な失業者を生んだ。特に煽りを受けたのが、それまで士農工商の頂点としてふんぞり返っていた侍たちだ。もともとなんにも生産していない人たちだった。その数200万人以上。幕府はよくぞ養っていたのものだ。人格的に優れているのであればそれなりの存在価値があったものの、ただ威張り散らしているだけでは無用の存在だ。

 明治政府は彼らの去就に頭を悩ませた。明治4年の廃藩置県によって用なしとなった元侍たちに何をさせればいいのか?

 繰り返すが、仕事らしい仕事はなんにもしていなかった人たちだ。ヘンなプライドだけは人一倍あり、いつも武器を携行している。

 思案の末、いろいろな地域で授産が行われた。教養がある者は幼児教育などに携わるなど、能力の活かし方がうまくいった例もあるが、〝使えねぇヤツ〟はゴマンといた。彼らすべてを使うのはじつに厄介な作業であったはずだ。

 どうしてこんなことを書くのかといえば、静岡がお茶の産地として栄えるようになったのは、旧士族や大井川の川越人足などが授産としてお茶の栽培を始めたことによると知ったからだ。

 誇り高かった侍どもからすれば、なんでワシが茶の栽培なんぞを、と思ったかもしれない。静岡は気候温暖な上、丘陵地がたくさんある。コメの栽培には不向きでもお茶なら栽培できる土地がたくさんあった。

 結果的に、静岡は全国でも有数のお茶の産地になった。

 どの時代にも、自分が親しんできた職業を変えざるを得ない人がいる。その気になれば、できないことはないという事例でもある。

 

 ……とここまで書いてきて、ではわが身はどうだろうと一考する。

 昨年、家族で交わされたある会話を思い出す。今の仕事以外に私ができることはあるのか? というテーマだった。

 組織に入ってスーツを着て営業? 「ムリムリ。あちこちでケンカしちゃうから」

 工場労働? 「ムリムリ。単純労働を我慢強くできるわけがない」

 肉体労働? 「ムリムリ。やったことないし、昼寝もできないから(笑)」

 事務作業? 「ムリムリ。できてせいぜい1日」

 店頭の販売員? 「ムリムリ。お世辞が言えないし、接客は絶対ムリ」

 政治家? 「まあ、ムリだろうねぇ。だって知らない人に頭下げるの好きじゃないものね」

 とまあ、本人を目の前にしてよくも思いつくなあと呆れてしまうくらいに話題が広がり、結果的に私の無能ぶりが露呈された。強いて言えば、ギャラリーのオーナーはできるかも、とお情けをかけてもらったが、それだってアヤシイものだ。だから思う。今やっている仕事を天職と心得よう、と。

 

 中国発のウイルス禍で相変わらず政権批判、政治家批判がすさまじい。批判されてもしかたがないような人もいるが、大半は必死にやっている。安倍さんも小池さんも……。本来は国民一人ひとりが政治を担うべき責任があるのだが、彼らは「代表」として過酷な業務を任されている。それを当然とみなし、言いたい放題の人たちを見ると、オルテガの言う「大衆」を想起する。

 オルテガが定義する大衆とは? 「自分は皆と同じであるとし、日々自分(や身近な人)のことだけを考え、政治に不満ばかり言っている人」。多少、超訳しているところもあるが、概ねこんな定義だった。

 いっぽうエリートは? 「自分がやらねば誰がやるという意気込みで重責を受諾し、人々から批判されようが社会全体の利になることを実行する人」となる。ここで批判する側と批判される側がみごとにつながる。

 だから思う。立場上は大衆の一員でも、心は大衆には染まるまい。日々奮闘してくれている政治家や医師や役人、そのほかの人たちへの感謝を忘れまい、と。

 

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(200416 第985回 写真は静岡県伊豆の国市の茶畑)

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