When there was no TV, people created fun for themselves.
1972年に公開されたジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督作品『探偵スルース』のなかのセリフ。「テレビがなかった時代は、みんな、自分たちで楽しみをつくりだしたもんだよ」という意味。
いったい、この言葉のどこが面白いのか? と訝る向きもあろう。
今から50年近く前もこのような危惧を抱いていた人がいたというのがミソである。テレビが登場したことによって、完全受動型の娯楽が定着し、人間が自ら楽しみを創造する能力を失っていくことへの問題提起とも取れる言葉である。
その頃から50年近く経て、人間の能力はどう変わっただろうか。進歩しているだろうか。たしかに科学は日進月歩の進歩を遂げているが、個々の人間はどうだろう?
著しく落ちているというのが筆者の見方だ。本来、幼少時代は自分で遊びを創造し、楽しむ術を身につけるべき時期だが、危険だという理由で公園から遊具がどんどん姿を消している。替わって、ゲーム機などを与えられる。外から与えられなければ、楽しむことができない人が増えているということが、現在の世相を作り出していると見るのは穿ち過ぎだろうか。
便利になるのを今さら止めることはできないし、止める必要もない。しかし、ちょっとしたアイデアによって日常の些細なことを楽しむことができるようになりたいものだ。
(第7回 200613)
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