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紺碧の将

つ、つ、ついに盆栽の世界に

2011.01.14

 ついに未踏の地へ足を踏み入れたというか、禁断の果実を口にしてしまったというか。

 

 盆栽に手を出してしまった。

 

 と聞くと、なんとなくジジクサイと思う人もいるだろう。

 かくいう私も10年くらい前まではそう思っていた。あれは隠居した年寄りの趣味じゃないかと。しかし、「日本酒を飲むと悪酔いする」という誤解と同じくらい、甚だしい誤解だと気づいたのはここ数年のことである。数年前、パリで見た盆栽にもショックを受けた。

 もっとも、「未踏の地」とは書いたが、2009年12月15日の本欄ブログにも書いたように、ひとつだけ盆栽を持っていたのである。陶芸家の坂田甚内氏から買い求めたもので、白い侘助である。もちろん、今も居間に飾ってある。

 しかし、あの時は純粋に “盆栽” に興味があって買ったわけではない。なりゆき上というか、行きがかりというか、「いいなあ」という程度だった。

 しかし、日本の文化を学ぶにつれ、盆栽こそ日本人の美意識の結晶。ある意味、茶の湯に匹敵する総合芸術だということがわかってきたのである。

 日本人は自然と共生してきたと、しばしば言われている。けっして征服する対象ではなく、寄り添う対象として自然を見てきた。だから、そこにカミの存在を感じてもきた。ふすま絵や掛け軸に自然が描かれているのは、まさに「見立て」であり、いつも自然に寄り添うための知恵でもあった。

 それと同じように、盆栽もあの小さな一鉢に広大な自然が凝縮されているということがわかる。先日、大宮盆栽美術館へ行き、数々の名品を見た時もはっきりとそう感じた。

 ならば、まずは自分で一つ購入してみよう、ということで、以前『fooga』で紹介した森前誠二氏が出した「銀座森前」に足を運び、右上写真のケヤキを買ってしまったのである。

 

 見ての通り、枝だけである。花も葉もついていないものを買う人は稀かもしれない。この時期であれば梅や椿が主流だろう。

 ところが、私はこのケヤキに惚れてしまった。高さ15センチ程度の小ぶりなものだが、枝の張り方がすでに風格を湛えている。

 さっそく、『夕映え』と命名した。夕日にかざすと、そのシルエットがあまりに美しかったからだ。

 

 最近見た新聞によると、今、海外でもBonsai人気はすごいらしい。イタリアでは盆栽大学まで現れる始末。昨年度の日本からの盆栽の輸出額は約52億円で、過去最高を記録した。ヨーロッパやアジアの富裕層が主な購入先らしい。

 と考えると、これから盆栽も立派な輸出品目になるということ。まずはわれわれ国民が盆栽を楽しもうではないか。

 あとは手入れをし、きちんと葉っぱをつけてくれるかどうか。緑の葉が生い繁り、やがて紅葉していくのを見るのが今から楽しみで仕方ない。

(110114 第222回)

 

 

 

 

 

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