死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

天上の調べと人間の残酷さ

file.062『モーツァルトはおことわり』マイケル・モーパーゴ さくまゆみこ訳マイケル・フォアマン画 岩崎書店

 

 本コラム初の絵本。

 絵本とは言え、文字も小さく、字数も多い。内容も明らかに大人向け。読み応え、見応えじゅうぶんの絵本である。

 読みながら、涙を抑えることができなかった。感動の涙でも哀しみの涙でもない。

 人間はこれほど残酷なことができる生き物なのかという憂愁の念と、それでも美しいものに惹かれていく哀れとでも言おうか。人間以外の動物は、食べるための殺生しかしない。しかし、人間は、他人の命を弄び、〝楽しみのために〟殺することもできるのだ。以前、本欄でも紹介した『ソフィーの選択』もそうだが、人間の残酷さは底なし沼のようだ。崇高さと邪悪さが幾重にも折り重なって存在する。極悪人と見られる人だけではなく、ほとんどの人間に共通している。

 

 新米ジャーナリストのレスリーは、上司の代役で世界的なヴァイオリニスト、パオロ・レヴィにインタビューすることになった。

 レヴィは気難しく、特にモーツァルトについてはいっさい質問してはならないと上司から厳しく言い渡されていた。

 ヴェニスのレヴィ宅で取材が始まった。そもそもヴァイオリンを始めるきっかけとなったのはなんですか、というレスリーの質問に対し、しばし黙考していたレヴィは、意をけっしたように語った。「ひとつの物語を話してあげよう」と。秘密を通すことは、嘘をつくのと同じだと自らに言い聞かせながら。

 それからレヴィの数奇な運命が白日のもとにさらされる。ヴェニスに生まれ、父親は理髪店を営んでいたこと。父はヴァイオリンを弾いていたが、なんらかの理由によってヴァイオリンをいっさい弾かなくなったこと。

 少年だったレヴィはある日、母親から内緒で父のヴァイオリンを見せてもらう。その時の少年の心の動きがいい。

 

 ――茶色いハチミツの下に金色のハチミツがかくれているような色。世界のすべてがこのヴァイオリンにとじこめられていて、出てきたがっているのを感じた。

 

 そう、ヴァイオリンに一目惚れしまったのだ。

 ある夜、レヴィ少年は外からヴァイオリンの音が聞こえてくるのを耳にし、こっそり家を抜け出し、音の出どころへ行く。ヴァイオリンに魅せられてしまった少年は、そうせずにはいられなかったのだ。

 路上でヴァイオリンを弾いていた老人は、バンジャマン・ホロヴィッツと名乗った。そして、興味津々の少年に少しずつヴァイオリンの手ほどきをする。

 やがて、父のヴァイオリンをこっそり持ち出すようになり、バンジャマンの指導のもと、めきめきと腕をあげる。

 あるとき、バンジャマンは少年の名に、ある符合を見出す。レヴィというのは珍しくないが、父親の名はなんというのか、と。少年から父の名を聞いたバンジャマンは偶然の出来事に驚く。なんと、かつて同じオーケストラにいて、ともに演奏したことがあるという。

 少年の家を訪れるバンジャマン。彼はそこで生死をともにしたかつての友に再会する。少年の母親も同じ団員だったことが明かされる。

 そして、少年は両親やバンジャマンがいかに数奇の人生を歩んできたか、聞かされる。3人はともにユダヤ人で、第二次世界大戦中、ナチスによって捕虜収容所に送られた。彼らが死なずに済んだのは、楽器の演奏ができたからだ。

 ナチスの親衛隊は、ガス室に送る人たちの恐怖心を和らげようと(だまそうと)、ガス棟の前でモーツァルトを奏でさせていたのだ。

 自分たちが奏でるモーツァルトを聞きながら、無数のユダヤ人がガス室へ送られていく。戦争が終わったのち、そういった忌まわしい経験を胸に、3人はそれぞれの人生を歩んできたのだ。

 父との約束によってモーツァルトだけは演奏しないと心に決めていたレヴィだが、父が亡くなったいま、次の公演ではモーツァルトを弾こうと決めている。

 天上の調べにも喩えられるモーツァルトの音楽。モーツァルトは天国から地上を眺め、どういう心持ちでいただろうか。

 

 レヴィ少年の父親がハサミを使うときの音楽的な描写、自分は将来ヴァイオリニストになるのだと直感が走ったときの描写など、随所に表現が光る。まごうかたなき傑作絵本である。 

 

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髙久の代表的著作

●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

 

●「美しい日本のことば」

今回は、「雲の鼓」を紹介。雲に鼓とくれば、鬼。「風神雷神図屏風」の雷神が浮かびませんか。そのとおり、「雲の鼓(くものつづみ)」とは「雷」のこと。雲にのって現れた鬼神は〜。続きは……。

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