湖を眺める悦楽
ザ・リッツ・カールトン日光がオープンし、日光中禅寺湖畔の雰囲気が変わってきた。30代〜40代の頃ならば、すかさず訪れていただろう。けっこうホテル・フリークだったから(今は外観を眺めるだけ)。
鬼怒沼山に登った翌日、湖畔を歩いた。以前から旧イタリア大使館別荘はお気に入りの場所だった。外装や内装に杉の皮を効果的に用い、独特の味わいを醸し出している。
行くたび、眺望の良さに驚く。大きなガラス戸の向こうに、中禅寺湖が一望できる。イタリア人のみならずヨーロッパ人は湖を眺める絶景を知り尽くしていたのだ。そこから見える湖面と山並みのコントラストは、じつに絵になっている。湖に面して広縁があり、椅子が横並びで湖に向いている。
「ここに座ってコーヒーでも飲みながら好きな音楽を聴けたらどんなに素敵だろう」と思わせる。少し奥にライティングデスクがあるが、これも湖を向いている。ここに長逗留して物書きしたいな、と思わせる。彼らは「美」に対して、異様なまでに貪欲である。
昔日、同じサイドの湖畔にはいくつかの大使館別荘が並んでいたが、旧イギリス大使館も一般公開されていた。今後、続けて各国の旧大使館が一般公開されればいいなと思う。
1929(昭和4)年、湖で外国人たちがヨットレースに興じている様子が映像になっている。それを見て、少し複雑な気持ちになった。その頃、日本人は何をしていたのだろう、と。
1929年といえば大恐慌の年。第二次世界大戦の端緒となった年と言っていい。その後、繊維産業の崩壊によって昭和恐慌が起こり、多くの餓死者が続出した。東北の寒村では一家の一時の飢えをしのぐため、年端のいかない女の子たちが売られていった。活路を求めて多くの日本人が海外に移住して行った。
移民としてアメリカへ渡った日本人は、やがて排斥を受けることになる。ドイツから広がった黄禍論が浸透していたところに、ポーツマス条約を不服とした日比谷焼き討ち事件でのキリスト教会襲撃などにより、世界の日本人に対する視線は一気に厳しくなっていく。そして、生きる術を求めて満州へ……。
その頃、この贅沢な別荘で湖を眺め、優雅なひとときを過ごしていた人もいたのだと思うと、ちょっと複雑な気持ちになった。いつの時代も情勢に翻弄される人とそうでない人がいる。
それはそうと、初秋の旧イタリア大使館別荘&旧イギリス大使館別荘公園、お薦めである。
これが旧イギリス大使館別荘。ちょっと新しすぎない?
そこから見る中禅寺湖。残念ながら当日は霧でけぶっていた。これはこれで雰囲気は良かったが……。
館内にはティールームもある。イギリスだけに、コーヒーではなく紅茶。
窓外の風景。絵になっている。
これが湖に面した特等席。ここに座ってボーーっとする歓び。
こちらは旧イタリア大使館。かなり前から一般公開されている。
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(200821 第1016回)