思考力を高める激烈な書
現代を代表する思想家による入魂の書。
なにごとにおいても「まわりと同じ」であることを良しとし、出る杭にならないよう気配りをする日本社会にあって、ここまで突出して独善的で激烈な考え方を貫いて生きるのはさぞかし疲れるだろうと察するが、もちろん執行氏にすれば「要らぬことを心配するな!」となるだろう。つねにつま先立ちで歩くことを、あるいは短距離走のように全速力でマラソンを走ることを自らに課すような生き方が小気味よく映る。
なにしろ、小学生の頃から、バッハやベートーヴェンを聴くときは、正装し、スピーカーの前の板の間に正座して聴いていたというツワモノ。その一途さは、滑稽を通り越して眩しいほどだ。
本書を読み解くカギは、執行氏がなにに重きを置いているかを探ることだろう。
その1は、死生観。
彼はつねに死を想い、生ききることこそが本当の生につながると言う。死の一部こそが生であり、死について考えて生きなければ本当の生にはならないと。
死に方が決まれば、生き方が決まる。生き方が決まれば、その人の持っているもっとも素晴らしいものが現出する。それが現出すれば、多くの人たちが苦しんでいるものから解放される。その道筋を示すため、深沢七郎の『楢山節考』を例にあげている。
他者を生かすために、自分が死ぬ。ある年齢を越えたら、子孫を生かすために、自分が山に行ってそのまま餓死する。姥捨ての風習は貧しかった時代の悪しきものととられることが多いが、執行氏はそこに人間の尊厳を見る。
その2は、不合理について。
私もさんざん不合理であることの重要性を説いてきたから、彼の言わんとすることは痛いほどわかる。
彼は、戦後、エセ民主主義に冒され、不合理を許容する心を喪失したと悲嘆する。自分を平和主義で、民主的で、科学的な善人だと信じて疑わない〝正気な〟人は損なことを許容できるはずもなく、その結果生まれた合理主義が科学とセットになって日本人を矮小化させていると。なるほど、お得情報ばかりが洪水のように押し寄せてくる。まるで、お得でないものは悪であるかのように。
そんな日本人に向け、日本人が力を発揮するのは、その根底に不合理があるときだと言ってはばからない。そして、先述の死生観ともからめ、鋭い考察を呈する。いわく「死生観とは不合理を許容する心である。いまの人は合理的になろうとするから死生観を持てず、生き方も定まらない。不合理を許容する心だけが死生観を打ち立て、人生を拓くことができる」と。
現代ほど〝科学的根拠〟が万能である時代はないが、科学に対しても懐疑的だ。
――科学の中には真実は一つもない。科学とは、一つの決められた考え方によって、段階的に考えていく過程を示す言葉に過ぎない。なおかつ、物質に起因するもの以外には、まったく適用不可能な方法論です。
その通りだと思う。この世の中で、数字で表せるものなど微々たるものでしかない。しかも、本質的なものごとはすべてと言っていいくらい、数字では表せない。仮にビッグデータなどを活用し、数値化できたにせよ、その数値に個人個人がぴったり当てはまることなどない。
そんなわけで、私はビッグデータは参考にする程度にしておいた方がいいと思っているが、「科学教」という新興宗教を盲信する人たちにとって、そういう態度は〝非科学的〟に映るだろう。
さらにひとつ、執行氏が重要視しているものが、文学である。
考えてみるまでもなく、文学こそ、非合理の最たるものだろう。だからこそ、実利的な本は読むが小説などの文学の類はいっさい読まないという人が多い。たしかに損得という尺度で測れば、文学書を読むことに費やす時間は、無駄以外のなにものでもない。
そういう傾向に対して、執行氏は「文学に代表されるリベラルアーツだけが、人間を豊かにする」という、サー・ウィリアム・オスラーの言葉をひいて、こう喝破する。
――私は文学こそが人間の教養の中心を占めてきたという歴史的な認識の上に立っている。文学を失えば、その民族は滅びると思っています。文学は、民族の本源の記憶につながっているものであり、本源の記憶を呼び起こす力を持ったものです。
――文学とは、赤裸々で野蛮な、そして何よりも命がけのものであるのです。
――問いかけのないところに文学は生まれません。問いかけを持たぬ人間に、文学を理解することもできません。それが文学の必須条件となるのです。「人間はどう生きるべきか」「生命とは何なのか」そして「宇宙とは、自然とは何か、つまり神とは何なのか」、「国家とは何か」「文明とは何か」といった問いかけです。それらがないものは、文学とは言えないのです。文学とは活字でもないし、書物でもない。ただその問いが発する呻吟なのです。
我が意を得たりと共感するばかりである。
ほかにも鋭い考察は山ほどある。(SNSなど)横のつながりではなく歴史という縦のつながりに重きを置いていること、日本人の心性と死生観の遠源は西行だということ、外国語を学ぶ前に母国語を学び、独自の思考をつくり上げなければならないこと、共産主義は唯物論に基づく物質主義の頂点であり、宗教を否定しているのは共産主義そのものがエセ宗教だからだということ等、強く同意できることばかりである。
しかし、読んでいてしんどくなるときもある。それこそが、魂の読書と言えるのではないか。松下幸之助について語った『悲願へ』と併せて読めば、思考力が一回り太くなるかもしれない。
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