いわゆるひとつの敗北宣言
市ヶ谷のChinomaを閉めたことで、ついにアレを買うことになった。アレとはあれ、言いたくないが、老眼鏡である。
なんでChinomaと老眼鏡が関係あるの? と思う人もいるだろう。
私の仕事の愛用機はMacBook Pro。4年前まで、デスクトップ型のiMacを自宅、Chinoma、宇都宮と3台備えていた。それぞれ最新のデータをUSBメモリに入れて持ち運んでいたが、それだとデータを移し忘れたりする。なによりソフトの使用料がかさむ。ご存知のように、いまはハードよりもソフトの使用料の方が高いのだ。
そこでノート型のMacBook Pro(13インチ)に変えた。そして3ヶ所に大きめのディスプレイを置き、それに映して仕事をしていた。ノート型とはいえ小さい方が持ち歩きに楽だし、どうせ大きいディスプレイに映して作業をするのだから小さいサイズでいいと。
ところが、Chinomaを失ったことにより、仕事の環境が変わる。今後はどこかのフリースペース施設の会員になり、そこで作業をするつもりだが、まさかディスプレイを持ち歩くわけにはいくまい。かといって、13インチのディスプレイで細かい作業をするのはリスクがある。メールの5と6と8を読み間違える可能性だってある。
本来なら、61歳のいま、老眼鏡のひとつくらい持っているのが当たり前だろう。私はもともと視力が良く、今でも1.5ある。視界でかすんでいるところはない。くっきりスッキリなのだ。
ところが、10年くらい前から近くだけアヤシクなってきた。朝一番、新聞の字が読みにくいし、薄暗くなるとお手上げだ。レストランで細かいメニューを見ても、価格がはっきり読めない場合がある。それでも老眼鏡を買わず、裸眼で通してきた。読書をするときも裸眼だった。
しかし年貢の納め時といおうか、ついに敗北宣言をしたわけである。
使ってみて、びっくり。細かいものがはっきり見える。新聞の株価欄さえ見える(興味はないが)。薄暗くても見える。
いっぽう、これはいかんと思った。これに頼ったら、ますます目が悪くなる、と。だから、昼間本を読むときはあくまでも裸眼で読み、どうしても見づらいときだけ眼鏡の力を借りることにした。
人間、楽をしようと思えば、いろんなものがある。「これが便利ですよ、これが楽ですよ」は悪魔の囁きだ。
そんなわけで、しばらくは目の衰えと格闘することになる。局地戦で敗北宣言をしたものの、敵の軍門に降るまではまだ時間がある。
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(2009030 第1026回)