市井の人々の哀楽を炙り出す傑作短篇集
フランス人らしく皮肉屋で、つい人間の裏側を見てしまう癖のあるモーパッサンは、憎めない一面もある。エッフェル塔が完成した頃、醜悪だから見たくないと言いながら、エッフェル塔に登れば醜悪な姿を見なくて済むからと、毎日エッフェル塔に登って朝食をとっていたというエピソードがある。ほんとうはエッフェル塔が好きだったにちがいない。ただ素直にそれを表すのは癪に障ると。
モーパッサンの師は、母親の実兄の親友だったフローベールだが、作風はかなり異なる。リアリズム文学の極北とも称揚されるフローベールに対して、モーパッサンの作風は生活感がぷんぷん、庶民的な趣きがある。彼の作家活動は、30歳から40歳にかけての約10年間だが、その間に360編もの中・短編小説を書いた。『女の一生』など、名の知られた長編もあるにはあるが、基本的にモーパッサンは短編作家である。
ここで紹介する新潮社の『モーパッサン短編集』は、360編の中・短篇から65編を厳選し、3巻にまとめたもの。第1集は彼の故郷・ノルマンディをはじめ、地方を舞台にした「田舎もの」、第2集は10年間の文部省勤務、恋愛、ボート、狩猟、スポーツ、盛り場など、パリ生活に着想を得た「都会もの」、そして第3集は、自らも従軍した普仏戦争を扱った「戦争もの」と超自然現象を題材にした「怪奇もの」。もちろん、すべての作品がそうはっきりと区別できるはずはなく、多少の違和感を覚えるが、モーパッサンが主にどういうテーマの短編を書いたかの道標にはなっている。
田舎者を知悉しているモーパッサンの描く田舎の人々は、貪欲でずる賢く、用心深い。言動は野卑そのもので、モーパッサンが注ぐ視線に共感は感じられない。しかし、それだからこそ輝くシーンがある。
「牧歌」は滑稽だが、温かみがある。電車のなかで太った女と若い男が向かい合って座っている。太った女は乳母である。乳を飲んでくれる赤ん坊がいないため、はちきれんばかりに胸が張っている。もうがまんできないと言いつつ、片方の乳房を男の前に露わにし、飲んでほしいと言う。さらにもう一方の乳房も。若い男はドギマギしながらも、勢いよく飲む。2日間、飲まず食わずだったからだ。いっとき、持ちつ持たれつの関係になった二人だが、これ以上の〝施し〟があろうか。俗っぽい女が聖女に変わる瞬間を鮮やかに描いている。
「シモンのとうちゃん」はいじめられっ子が〝父〟を得、俄然たくましくなるという話。モーパッサンはただの冷血漢ではないことがわかる。
「ジュール叔父」も味わい深い。つましく暮す一家の希望は、財をなして故郷に帰ってくるはずの父の弟、ジュール叔父だったが、あるとき、船上で牡蠣むきをしているみすぼらしい叔父の姿を見る。一家の希望はあえなく潰えるのだが、ユーモアの混じった描写が魅力的だ。
第3集に収められた「二人の友」を読むと、普仏戦争当時、プロシア軍に包囲されている状況下、久々に出会った釣り仲間とパリ郊外へ釣りに出かけ、そこでスパイと疑われて捕縛される二人の男の心情が手に取るようにわかる。〝頭のてっぺんから足の爪先までぶるぶる震えながら〟死を待つ心境がわかるような気がするのだ。のんびりと釣りを楽しんでいた平凡な男たちが無残にも銃殺されてしまう不条理を淡々と描く。
そのほか、作者の郷里ノルマンディの漁夫と小市民、農夫たちの生活の中にあらわれる人間心理の内面を、鋭い観察を通して炙り出す作品が目白押し。人間の本質が濃厚に凝縮された3冊である。
1892年、モーパッサンは自殺を図り、翌年パリの精神病院で生涯を閉じた。けっして幸多き人生だったとは言えないが、彼の生み出した多くの短編は後世に残った。そして現代人の心を動かし続けている。作家という職業の意義をあらためて考えてしまった。
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