死の風景から垣間見える普遍の真理
奇書と言っていいだろう。文庫で全3巻。古今東西、名の知られた人物927人がどのような最期を迎えたかが描かれている。死亡した年齢順に、下は15歳から上は120歳まで、まさに百人百様の〝死に様〟。異常な執着による、おそるべき書である。
読み進めるだけで気が滅入ってくる。どのページを開いても、死の風景があるのだから。残忍な拷問のあと処刑される者、愛人の上で腹上死する者、激痛にのたうちまわって死ぬ者、暗殺される者、予想だにしない事故に巻き込まれ一瞬で死に至る者……。安らかな死に方などごく稀にしかない。どんなに権勢を誇った人でも、崇高な精神をもった善人でも、死に至る道は苛酷だ。簡単には死なせてくれない。その間に味わう苦痛が、行間から立ち上ってくる。読者は死の体験がないのだから想像するしかないが、どんな死に方も容易ならざるものだということだけはわかる。
なぜ、山田風太郎はこれほど他人の死に様に取り憑かれたのか。そして、なぜ自分はこれでもかと死の光景ばかりを描いた本を読み続けているのか。嫌であれば、読むのを止めることはいつでもできる。
ひとつ言えることは、いずれ自分の肉体も滅びるということを強く再認識させられること。いつかは死ぬと頭ではわかっているが、それを四六時中考えているわけではない。むしろ、考えないようにしているから日々の暮らしを楽しむことができるともいえる。
しかし、死を思わないことで、日々を無駄に過ごしてしまうこともある。西洋でもメメント・モリ(死を思え)は重要だ。死を意識するからこそ生を謳歌できる。禅でも「生死一如」ととらえている。
死後の世界があるかどうかはわからない。しかし、生の時間は確実にある。いま、われわれが生きていることがその証である。
ここに描かれているのは、死の風景だけではない。故人にまつわるエピソードも書かれている。例えば、「ゴッホの生前に売れた絵は、ただ一枚だけであった」「力道山はプロレス十年で、当時の金で三十億円稼いだといわれるが、彼の死後三年ですべては消滅した」など、過去の人たちだからこそ見える普遍の要点が描かれている。
また、各年齢の扉にある、死にまつわる格言がおもしろい。
――神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す。
―同じ夜に何千人死のうと、人はただひとりで死んでゆく。
――みんないう、いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ。
――死が生にいう。「おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない。(いずれも山田風太郎)
本書を読めば、人類史が個々の人間の集大成であることがわかるし、どんなに偉大な功績をのこした人も、死んでしまえばやがて風化されるということがわかる。名が残るのはほんの一部。大半は砂嵐の前の砂塵のごとく、どこかに消えてしまう。それがわかるだけでも本書を読む価値はある。
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