よみがえる、甘酸っぱい恋愛の記憶
辻邦生は、北杜夫との対談週『若き日と文学と』で、文学についてこう書いている。
――文学というものは、もともと生気が枯渇してゆく生活のなかに精神の養分を注ぎ込んで、生命本来のいきいきした輝きを取り戻させるものである。生命の本質が歓喜である事実を自覚することである。
この論法に従えば、音楽にも同じ役割がある。人それぞれに、さまざまな愛惜が脳裏の奥深くに刻み込まれているはずだが、音楽はそれらを惹起する動機にもなり、記憶の箱を開ける鍵ともなりえる。しかも、瞬時に。
「音の詩人」と言われたシューマン(1810―1856)が、ハイネの詩をもとに作曲した連作歌曲『詩人の恋』は、だれもが心の内部に秘めているであろう初恋の甘酸っぱい記憶をよみがえらせ、揺り動かす作品だ。
初恋は、思春期に多いがゆえに感応鋭く、脆弱でもある。相手のいいところしか目に入らず、相手との間にわずかでもすき間が生じると、それはまたたく間に大きな穴となり、決壊に至らせる。だから人は恋愛を重ねるごとに、二度と痛い思いを味わないで済むよう、複眼で相手を見るという〝処世術〟を獲得していく(同時に、失っていくものもある)。
若き日の甘酸っぱい恋愛がどういう味わいのものか、すっかり忘れてしまった人が大半だろうが(私を含めて)、『詩人の恋』を聴けば、その味わいが去来するにちがいない。
シューマンにとって1840年は、きわめて重要な年だった。最愛のクララの父親であり、自分の師でもあったヴィークを相手にクララとの結婚を認めてもらうよう裁判で争い、勝って結婚した年であったからだ。そのことがシューマンの心に火をつけたのだろうか。彼は生涯に270曲以上の歌曲を作曲しているが、この1年間だけで120曲以上も作っているのだ。1840年がシューマンの「歌の年」と言われる所以である。特にハイネの恋愛詩は、シューマンの歌心を十全に開花させた。
『詩人の恋』の発表当時は20曲からなる歌曲集として出版されたが、その後、改変され、現行版は16曲になっている。それぞれに題がついている。
1「うるわしくも美しい5月に」
2「ぼくの涙はあふれ出て」
3「ばらや、百合や、鳩」
4「ぼくがきみの瞳を見つめると」
5「ぼくの心をひそめてみたい」
6「聖なるラインの流れの」
7「ぼくは恨みはしない」
8「花が、小さな花がわかってくれるなら」
9「あれはフルートとヴァイオリンのひびきだ」
10「かつて愛する人の歌ってくれた」
11「ある者が娘に恋をした」
12「まばゆく明るい夏の朝に」
13「ぼくは夢のなかで泣きぬれた」
14「夜ごとにぼくはきみの夢をみる」
15「むかしむかしの童話のなかから」
16「むかしの、よこしもな歌草を」
1〜4は恋心が芽生え、相手と相思相愛になる歓びを。5は恋を失うのではないかという予感を。6は失恋の葛藤を。7は理性を保とうとする意思を。8〜10はふたたび失恋の苦しみを。11は少しずつ心が恢復する様子を。12は知らず知らずのうちに悩みが昇華され、記憶のなかで美化する様子を。13〜15は恋の歓びも苦しみも記憶のなかに融け込んでいく様子を。16は恋の体験が自分を新しく変容させることを暗示して終わる。
恋が生まれ、育まれ、停滞し、疑い、破れ、絶望し、やがて立ち直るという典型的な恋愛プロセスを描いている。自らの体験がこの歌曲を誕生せしめたことはまちがいない。
シューマンはこう語っている。
――人間のなかには偉大な、おどろくべきなにかが住まっている。美しい夕映え、美しい楽の音に相似たものが。するとかならずや自意識が顔を出し、この至福の、この夢想を邪魔してしまう。
では、夢想を邪魔するものとはなにか。それこそ、辻邦生が指摘する「生気が枯渇してゆく生活」=現代社会ではないだろうか。われわれは高度に合理化された社会に生きているがため、自ら意図して「生命本来のいきいきした輝き」を取り戻さなければならないのではないか。
ハイネの詩にはついぞ共感できなかった私だが、『詩人の恋』はお気に入りの歌曲になった。
お薦めは、ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ(バリトン)とクリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)によるもの(1974〜76年録音)。最終章、エッシェンバッハの静謐なピアノが、傷ついた心をしっとりと癒す。(画像:上はシューマン、下はクララ)
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