木を媒介にした日本人の智慧論
ヨーロッパは石の文化、日本は木の文化だと言われる。風土と精神性に最も適していたのが、その素材だったのだ。
なるほど、日本人は木をうまく使ってきたし、愛着を寄せてきた。
新国立競技場の設計コンペでザハ・ハディド案に決まったとき、どうしようかと思った。子供が自転車に乗るときにかぶるヘルメットのようなデザインを斬新だという人もいるが、あのテのデザインは陳腐化が激しい。数年もすれば〝古臭い〟デザインになるのは日を見るより明らか。それが後世に残るとしたら負の遺産になる。ルーブル美術館のガラスのピラミッドのような先鋭的な芸当は、簡単にできるものではないし、どの国の風土にも合うとは限らない。
代わって隈研吾氏の設計は全国各地の木材を使用し、神宮外苑と調和させるという案だが、落ち着くべきところに落ち着いたといえる。
本書の著者塩野米松氏は、法隆寺の最後の宮大工・故西岡常一に関する著書で知られ、西岡の唯一の内弟子・小川三夫氏に関する著書もある。木材や宮大工の技術・思想などについての造詣の深さは定評がある。氏の著書には共感することが多く、『Japanist』ではエッセイを寄稿してもらったこともある。
木は2つの命をもっている。すなわち、生きている間と伐られて木材になってからの命。材になってからの木の命の生かし方は、それ以前の植物として生きていたときの姿を知ることが重要だという。とはいえ、言うは易く行うは難し。その木がどういう用途に向いているか、日本人は長年の経験の積み重ねによって驚くべき答えを導き出した。
以下、その一例(用途/木の種類/用いる理由)
・金槌の柄/カマツカ/折れず、柔らかいのでショックを吸収する
・鉋の台、舟をこぐ櫓/カシ/硬くて丈夫
・風呂桶/カヤ、コウヤマキ、ヒノキ、ヒバ、スギ/水に強い
・寺の塔や堂/ヒノキ
・爪楊枝/クロモジ
・工事現場の杭や土台/マツ
・曲げわっぱ/ヤマグワ、ヤチダモ、リョウブ、ミズキ、マンサクなど
・ソバをこねるときのこね鉢/トチ
その他、細かいものも含めれば、無数にあるだろう。
舟大工の工夫について書かれた箇所も面白い。板のつなぎ目をどうするか。少しでもすき間ができれば、そこから浸水し、沈んでしまう。そこでわれわれの祖先はどうしたのか。
板と板の間にマキハダというヒノキの内皮からとった木材を挟み込んだのだ。マキハダは水を吸い込む性質があり、ちょうど頃合いに膨らんで隙間を埋める。
法隆寺に伝わる宮大工の口伝も紹介されている。ちなみに、口伝とは口伝えで遺してきた智慧の結晶を言う。いくつかを紹介しよう。
「木を買わずに山を買え」
大きな建物をつくるときには、木を一本一本バラバラに買わずに山を丸ごと買い、木の生育のままに適材適所使う。
「木は生育のままに使え」
木は寿命が長いため、育った環境の影響を大きく受ける。南の日当たりのいい場所、北の日当たりの悪い場所、尾根筋の風の当たる場所、谷沿いの比較的風の少ない場所など千差万別。厳しい環境で育った木は、それに対応する力がずっと働いていたため、材になった後、「ねじれ」となって現れることが多い。尾根筋より谷筋の方が土壌が肥えているため、よく育つ(まさに老子のよう)。
「木を組むには癖で組め」
木は一本一本性質が異なり、その癖を見抜いて使えば、丈夫で長持ちする。現代は効率優先で、なにごとも「均一な性質」を良しとし、癖=個性を悪い物とみなす。癖は種類ごとにちがうし、同じ種類でも生えていた場所でねじれの方向などが異なるが、それらを知り尽くしたうえで材を用いれば、頑丈な建物ができる。
例えば、四隅の柱。それぞれのねじれが同じ方向に向くと、建物が曲がってしまう。それを考慮して、ねじれの方向を互いに補い合う方向にすれば建物はよりしっかりと建つ。
「寸法で組まずに癖で組め」
木を伐りだしてからしばらく寝かせることでその木の癖を見抜くことができる。ケヤキは暴れる木だが、注文通りの寸法を出すために大きめに製材し、出荷まで徐々に補正していく。
「丘の上の一本木は買うな」
丘の上の一本の木は太陽をたっぷり独り占めできるかわりに、たった一本で風に立ち向かわなければいけない。激しい風にさらされた木はそれに耐えようと力を入れる。長い間にそれがひどい癖になる。だからうまく用いるのは難しい。
宮大工の先人たちは、木々の向こうに宇宙を見ていたのだ。だからこその叡智であろう。
また、棟梁への心得も書かれている。
「木の癖組みは工人たちの心組み」
「百工あれば百念あり、これを一つに統ずるはこれ匠長の器量なり」
「一つにとめる器量なきものは、慎み懼れて匠長の座を去れ」
意味は書かずともわかるだろう。現代のリーダーシップ論にもそのまま使える、普遍的な言葉ばかりだ。
塩野氏は現代の風潮にも警鐘を鳴らす。つまり、合理性の名のもとに、先人の智慧を活かすどころか、〝安い・早い・簡易〟を求めすぎていると。本来、日本の木造建築物は数百年おきに解体修理できるようになっていた。しかし、いまは人件費がいちばん高いため、解体し、使える部材を残すよりは一気に壊してしまって工場から送られてくる規格品を使う方が安く済む。そういうことを繰り返すことによって、いい建築物は続々と姿を消し、半端な建築物ばかりになってしまった。
木材は貴重な資源だということもわかる。吉野では、1ヘクタールに8000〜12000本植栽し、その後徐々に間伐し、40年過ぎて残るのは10%に満たないという。
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