ひとり娘の結婚式
娘の結婚式が京都で執り行われた。こういう状況下だから、披露パーティーは日をあらためてするようだが、まずは一区切りといったところ。
拙著『父発、娘行き』にも書いたが、私たち親子はけっこう親密な時間を長く過ごした。27年前のあの日、仮死状態で生まれてきたあの子が結婚、と思うと感慨深いものがありそうだが、じつはあまりない。
娘が幼いころ、まわりの人たちによく言われた。お嫁に行くときは(私が)どんなに悲しむだろうね、と。世間一般に、父親はそうなるらしいが、そんなものかなと半信半疑だった。案の定、娘が結婚すると決まったときも、寂しさは感じなかった。むしろ、そう思える相手と巡り合ってよかったなと。
娘の結婚相手と大阪で〝サシ〟で飲んだことがある。そのとき、彼は異様に緊張していた。その数ヶ月前、東京で初めて会ったときもそうだったが、私には緊張するようだ。いまでもあまり変わらない。緊張するタイプなのか、あるいは私がそうさせるのか……。
まっさきに彼に対して抱いたことは、娘を好きになってくれてありがとう、だった。今でもそう思っている。
これから、ふたりはどういう人生を歩むのだろう。娘は良くいえば、情緒が安定している。わけもなく機嫌が悪いとか、落ち込むということがない。いつも楽しいことを考えている。しかし、おかしいと思えば遠慮なく指摘する。
ま、そういう面は私に似てしまったのだ。優しく、対立することを好まない彼が、今後娘とどう折り合いをつけていくかはわからないが、末永くいい関係を続けてほしいものだ。
(210201 第1055回 阿弥陀の前での式だった。寒いのなんの)
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