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紺碧の将

若葉が眩しい

2011.04.29

 今年の正月、盆栽に手を染めたことはすでに書いた。盆栽といっても、よくあるような松柏ではなく、小さな葉もの(ケヤキ)だ。高さは20センチ弱だが、樹齢は約20年を数える。太い幹周りと枝のバランスは、大木をそのまま縮小コピーしたかのような風采である。

 買った日に「夕映え」と名付け、それ以降、世話をし続けている。昼間は外に出して日に当て、水をあげる。数日間留守にするときは盆の下に水を張り、苔の部分をティッシュで覆う。そうするとティッシュが水を吸い上げ、保湿効果があるのだ。これは考えた末の対策だったが、けっこう効果はあるらしく、苔の色はいつも青々としている。

 4月1日、初めて葉っぱを確認したときの感動を、なんと表現すればいいのだろう。細い枝をじっと見ていたとき、わずか1ミリ程度の小さな葉を発見したのだ。

 「うぉー、でかしたぞぉー、夕映え!!!」と声をあげてしまった。あんなに小さく、壊れそうなほど弱々しい葉一枚に感動している自分が面白かった。

 それから約一ヶ月、今では葉が生い茂り、窓の前のケヤキの大木(左馬之助、凜子と命名)と同じような姿になっている。「そうか、冬が終わり、新しい芽が出るということは、それほどに感動的なのだな」とあらためて思い知らされた。

 今月中旬、新たにうすら梅、長寿梅、ボケの3つを仲間に入れた。それぞれ、浮き雲(白い花が空に浮かぶ雲のよう)、曙(花の色があけぼの色)、風月と名付けた。曙は御苑の書斎に連れてきたが、他の2つは宇都宮の自宅に置いてある。

 

 今、御苑は清澄な若葉と色とりどりの花で輝いている。今までもこの季節は好きだったが、これほど魅力的だとは知らなかった。あまりの美しさにため息の連続である。

 しかし、ここはこんなに美しいのに、東北の被災地では今も多くの人が苦しんでいるという事実が心に重くのしかかる。多くの尊い命が奪われ、町は瓦礫と化した。住まいも仕事もなくなってしまった人が大勢いる。親を失ってしまった、いわゆる災害孤児は2000人を越えるという。その子たちの心境を思うと、胸が張り裂けそうだ。

 自然のなすことはあまりに大きくて、たじろぐばかりである。

(110429 第247回 写真は新宿御苑のモミジと池)

 

 

 

 

 

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