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紺碧の将

光秀の人柄と城づくり

2021.03.01

 前回、前々回、信長がつくった安土城について書いたが、今回は光秀がつくった坂本城について。

 長らく坂本城の全体像は謎だったが、1994(平成6)年と2000(平成12)年、琵琶湖が渇水したとき、本丸の石垣の根石や舟入跡が現れたことによって正確な位置などがわかったという(それ以降、琵琶湖の水位は管理されているため、ふたたび石垣の根石などを見ることはできない)。

 NHKの大河ドラマは見ないから、「麒麟がくる」で光秀がどのように描かれたのかわからない。主人公であるからには、「暴君信長と民を思う義の人」という設定で描かれたのではないかと推測するのだが、正直なところ、NHKの大河ドラマの人物観はほとんど信用できないというのが私の見方だ。

 また、どのテレビ局だったか覚えていないが、光秀がつくった福知山城の城づくりから、家臣や民を思う光秀の精神性が垣間見えるという主旨の番組もあった。たしかにそういう面があったことは事実だろう。しかし、ここがミソなのだが、人間的にバランスがとれ、敵をつくらないような人だからといって味方になってくれるとは限らない。本能寺の変のあと、光秀に呼応する武士はほとんどいなかった。光秀が当てにしていた細川さえ、なんだかんだと理由をつけて呼応しなかった。

 それが人間なのだと思う。つまり、「いい人かどうか」より「勝れた人かどうか」を見極めて人はだれについていくべきかを判断する傾向がある。現代の政治の世界もそうだろう。もちろん、その図式が一般の市井の社会にそっくり当てはまるとは思わないが……。

 宣教師のフロイスは、坂本城について『日本史』で次のように書いている。

「かの大湖のほとりにある坂本と呼ばれる地に邸宅と城砦を築いたが、それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものに次ぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にない」

 それほど豪壮華麗であったのだろう。

 安土城があった場所からほぼ対岸の地に坂本城はあった。いまはなにも残っていないが、だからこそ湖畔に立って琵琶湖を眺めると悠久の時を感じる。

 

坂本城址公園の石碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂本城予想図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

琵琶湖畔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(210301 第1060回)

 

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