『資本論』はだれも実践できない(1)
このところ、斎藤幸平という若い経済思想学者がカール・マルクスの『資本論』をさかんに称賛している。
私はこの書物を共産主義というイデオロギーのベースになった書物として長らく遠ざけてきた(そもそも長すぎて読む気がしなかった)。しかしNHKの「100分de名著」で、くだんの学者が同書を取り上げたことでその概要をおおまかに知ることができ、それまでの思い込みは必ずしも適切ではなかったと知った。マルクスは共産主義を先導していない、共産主義者たちがマルクスの思想を援用・活用し、共産主義という革命思想に練り上げただけなのだと。
資本主義の綻びがいたるところで見られる昨今、マルクスが再評価されるのは自然の流れでもあるのだろうが、かといって手放しで礼賛するのは、取り返しのつかない事態を招く元凶になりかねないとも思う。
数回にわたり『資本論』について述べたい。
『資本論』とはなんなのか
『資本論』と共産主義の政治理念には多くの部分で共通するものがある。共産主義者たちが意図的にマルクスの思想を拡大解釈し、共産主義政治体制の維持、あるいは自分たちの保身に活用したことは明白な事実である。しかし、それをもって『資本論』を断罪するのは早計だった。
同書は資本主義に内在する欠陥や矛盾を白日の下に晒しだしている。1800年代なかばに書かれた本書の通り、現今の資本主義はガン細胞のように増殖し、世界中に驚異的な格差を生み出している。そして、今こうしている瞬間にもその格差は大きくなっている。
本題に入る前に、格差の実体をおさらいしておこう。「100分de名著」のテキスト(斎藤幸平編)より抜粋する。
――国際開発援助NGO「オックスファム」によると、世界の富豪トップ26人の総資産額は、地球上の人口の半分、実に39億人の資産に匹敵する。アメリカ一国に目を向けても、超富裕層トップ50人の資産は2兆ドルで、下位50%の1億6500万人の資産に匹敵する。
資本主義の問題は格差の拡大にとどまらない。本来、人類共通の財産(コモン)であった自然だが、一部の利権者が自然資源を私有化し、商品化していている。そして経済活動の名のもとに資源を収奪し、生態系のバランスを崩し、汚染し続けている。その勢いはとどまるところを知らず、このまま進めば、全人類が痛いしっぺ返しを受けることは避けられない。
一方で、資本主義をすべて悪とみなせば済むという話ではない。人類は今までにさまざまな形の経済秩序を模索・試行してきたが、資本主義以外はほとんど淘汰されてしまった。なかんずく共産主義は、全世界で1億人とも言われる犠牲者を生んだ。マルクスが共産主義思想を唱えたわけではないにしろ、「マルクス主義」という言葉が示すように、マルクスの思想が〝結果的に〟社会主義もしくは共産主義を涵養したことは明らかである。ちなみに、マルクス主義とは、マルクスとエンゲルスによってまとめられた思想をベースとして確立された社会主義思想体系の一つであり、資本を社会の共有財産に変えることによって、労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働を解放し、階級のない協同社会をめざすとしている。
概念としては理想的だが、その後、「マルクス・レーニン主義」へと展開し、人類史上類例のない非人道的な政治体制を顕現させるに至った一因であることは否定しようがない。
なぜ人は共産主義にかぶれるのかと、ずっと疑問だった。これを機に『資本論』が指摘する資本主義の欠陥と併せ、あらためてマルクスの思想を考察したい。(次回に続く)
(210312 第1062回)
●知的好奇心の高い人のためのサイト「Chinoma」10コンテンツ配信中
本サイトの髙久の連載記事
髙久の著作