『資本論』はだれも実践できない(6)
共産主義革命の犠牲者
共産主義革命が、人類にどれほどの災厄をもたらしたか、それを忘れてはいけない。ここでは社会評論家・江崎道朗氏の文章を拝借しながら、あらためて共産主義について簡単に記しておきたい。
ロシア革命によって政権を握ったレーニン率いるボリシェビキ(のちのソ連共産党)は、1922年、世界で初めて共産主義国家を樹立した。そして、コミンテルンという世界の共産主義者ネットワークを構築し、世界各国に秘密工作を仕掛けた。終戦直後のアメリカや、その統治を受けた日本もその例外ではなかった。彼らは各国のマスコミ、労働組合、政府、軍に工作員を送り込み、革命の気運を醸成しようとした。
それによって東欧、中欧、中国、北朝鮮、インドシナ半島、中米など世界各地に共産主義国家が誕生した。かくしてアメリカを中心とする民主主義+資本主義経済圏と、ソ連を中心とする共産主義経済圏によって世界は二分され、世界は東西冷戦に突入した。
そもそも共産主義の原点は、格差をなくし、経済的平等を目指すことだった。
マルクスが指摘したように、資本主義社会では、資本家と労働者の力関係によって格差が生まれる。そこで労働者による政党である共産党が政権を取り、共産党主導で強制的に地主から土地を取り上げ、会社経営者から資金と工場を取り上げ、あらゆる資産を国有化し、すべての労働者で共有すれば格差は解消され、労働者主体の理想的な社会が実現できると考えた。
しかし、共産党が権力を握った国家に出現したのは、労働者の理想郷ではなく、共産党幹部による独裁と恐怖政治だった。
地主が不在となった広大な農地は荒れ果て、農作物は不作が続いた。強奪された工場は満足に稼働せず、生産力を失った。かくして共産主義国家は坂を転げ落ちるように貧しくなったが、不満を漏らす人たちは労働者の敵、あるいは反革命思想とされ、処刑あるいは強制労働所行きを余儀なくされた。『ドクトル・ジバゴ』という映画を見た人はわかるだろうが、はじめは特権階級がのさばる社会を打倒しようと革命を起こしたが、やがて民衆を恐怖で支配する政治に変貌した。愛の詩を書いたこともあるドクトル・ジバゴは、反革命的とされ、処刑される恐れもあった。
かくして、労働者の理想郷であったはずの共産主義は、人類に最大の悲劇をもたらした。これと比べたら、ナチスによるユダヤ人虐殺など可愛いものだと思えるほどに悲惨な大量殺戮を。
1997年、フランスの国立科学研究センターの主任研究員ステファヌ・クルトワと、フランス現代史研究所の研究員二コラ・ヴェルトは『共産主義黒書』を刊行し、共産主義体制によって世界中にどれほどの犠牲者が出たか概算を示している。それによれば、
ソ連/2000万人
中国/6500万人
ベトナム/100万人
北朝鮮/200万人
カンボジア/200万人
東ヨーロッパ/100万人
ラテンアメリカ/15万人
アフリカ/170万人
アフガニスタン/150万人
総計で約1億近くもの人が共産主義体制の犠牲になったとみられている。今から20年以上前の概算であるため、北朝鮮や中国共産党支配下のチベットやウイグルの犠牲者を足せば、さらに犠牲者の数は増すだろう。
これを見てもわかるように、レーニンやスターリン、毛沢東、チャウシェスクら共産党の指導者たちは、あたかも大量の蚊を叩き潰すかのようにおびただしい数の人間を殺した。殺して殺して、殺しまくった。
統計の数字を離れて、一人ひとりにふりかかった悲劇を想像してみよう。しかしどんなに想像力をたくましくしても、共産主義イデオロギーによって命を奪われた人たちの惨状を思い描くことなど不可能だとわかるはず。それほど途方もない集団殺戮だった。
日本でも共産主義にかぶれた人たちがさまざまな事件を起こした。あるていどの年代以上であれば、日本赤軍や革マル派など、記憶に残っているだろう。
これだけをもっても、共産主義を礼賛するなどもってのほかであるし、今なお「共産」の名を冠にしている政党があること自体、不思議でならない。たしかに斉藤幸平氏が述べているように、マルクスは『資本論』にひとことも「共産主義」「社会主義」とは書いていないが、世の共産主義者が『資本論』を援用したことは明らかな事実である。(次回に続く)
(210321 第1067回 写真はレーニンとスターリン)
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