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紺碧の将

現代の花鳥画に挑む〝令和の絵師〟

2021.05.03

 これまで『fooga』や『Japanist』などで多くの人を取材してきた。どれも〝ちょっとした〟記事ではない。その人となりを徹底して掘り下げることが多かった。

 ジャンルも多岐に及んだ。実業家、政治家、社会活動家、職人、そして芸術家。そのなかで、もっとも興味深いのは職人と芸術家(特に美術家)である。私がもっとも好きな芸術のジャンルは音楽と文学だが、いずれもビジュアルにならないから、どうしても記事になったときの迫力に欠ける。その点、美術家は作品を画面で紹介できるのがいいし(印刷にしろネットにしろ)、美を求めることを職業としているなんて、それだけで素敵だ。

 先月、じつに久しぶりに美術家に取材した。京都で生まれ育ち、活躍する日本画家の中野大輔さん。あるギャラリストは、彼を「令和の絵師」と呼び、また2019年、ニューヨークで彼の個展を見たドイツ人キュレーターは、「私が生きている間に、現代作家の美しい日本画を見ることができるなんて」と言って涙を流したという。

 美術の分野も、そのほかと同様、先人たちがやり尽くしてしまった感がある。文学においてドストエフスキーやユゴーを超えるのは至難の業だろうし、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンのような音楽家は絶対に現れないだろう。美術の分野もそうだ。ダ・ヴィンチやベラスケスやピカソたちがやり残したことってなんだろう。日本に目を転じても、俵屋宗達や伊藤若冲、速水御舟ら、美術という大地も先人たちがおおかた占領してしまった。残る僅かな土地を現代の作家があの手この手を使って奪い合っているという様相だ。だからなのか、どうしても新奇なスタイルにならざるをえない。

 しかし、中野大輔という1974年生まれの若手画家(画家としては明らかに若手に入る)は、花鳥画という日本画のど真ん中で勝負を挑んでいる。

 私が着目したのは、そういうポジショニングと、令和という時代に生きて描いているがゆえの現代的な作風をどうやって〝モノにした〟か。

 記事は「令和の花鳥画は豊穣でシンプル、クールであったかい」というタイトルで「美し人」にアップしている。

 若い時分に、人と異なる生き方を選び、ずっとそれを貫いている人に特有の清々しさ、爽やかさがある。ぜひ、読んでほしい。

 

 

(210503 第1074回 上の作品は『ひかりあまねく』)

 

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