音楽を食べて大きくなった
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紺碧の将

ウクレレだけをバックに歌う、和製カヴァー集

file.025『ウクレレ・ドリーミング』サンディー

 本コラム初登場の日本人は、サンディー(本名:鈴木あや。アメリカ人と日本人とのハーフ)。一部のファンを除き、あまり知られていないようだ。

 本コラムではダイアナ・クラールやリンダ・ロンシュタットのカヴァー集を取り上げたが、この作品はかなり毛色が変わったカヴァー集である(2003年発売)。

 まず、ウクレレとほんの少しのパーカッションだけをバックに、1960年代に日本でヒットした洋楽(1曲のみ日本の曲「恋のバカンス」←ザ・ピーナッツでヒット)を日本語で歌っている、いわゆる和製カヴァー集である。収録されているのは「恋はみずいろ」「レモンのキッス」「ビー・マイ・ベイビー」「砂に消えた恋」「悲しき16才」など、誰もが口ずさめる歌ばかり。ポール・モーリアの「恋はみずいろ」は毒にも薬にもならない、なんの変哲もない曲だが、サンディーの声にかかるとまたたくまに生き生きとしてくる。甘く、かすれた裏声は、南国の風を運んでくれそうな軽妙な味わいがある。オリジナル度はかなり高い(=ほかの誰も真似できない)。そもそもウクレレ一本をバックに、だれもが知っている曲を歌うなど、よほど自信がある人か、あるいは己を知らない大うつけ者にしかできない芸当だ。

 CDのブックレットによしもとばなな氏がこう書いている。

 ――輝かしくて、限りなく透明で、たっぷり無尽蔵にあって、ちょっと笑えるような感じもあって、甘くて、強いもの。太陽の光,繰り返す波の音か・・・自然が彼女の声にのりうつり、聴く人に何か大切なことを思い出させる。――

 さすがに小説家は表現がうまい。サンディーの声を聴くと、まるで魔法にかけられたかのように力が抜けていくのだ。もちろん、いい意味で。ネコの体を撫でているときのような感懐を呼び起こされる。

 楽器はほぼウクレレ1本だが、演奏者は8人もいる。山内雄喜、関口和之、オータサン、田村玄一、ピーター・ムーン、IWAO、ハーブ・オオタJr.、小林キヨシがその顔ぶれ。関口和之はサザン・オールスターズのメンバーである。

 ところで、サンディーと聞けば、心太(ところてん)式に久保田麻琴の名が浮かぶ。私は日本の音楽界で彼は異彩を放っていると思っている。彼はサンディーの元夫でもあったのだが、サンディーは久保田麻琴によって磨かれたにちがいない。

 東京に生まれたサンディーは、10歳のときにハワイへ渡り、12歳の頃から歌手としての活動を始めた。彼女はいわゆる元祖〝ナイス・バディー〟で、高校の後輩であったアグネス・ラムよりボインボインだという噂がもっぱらだった(どのあたりで?)。ウィキペディアにも載っている。23歳のときは身長163cm、スリーサイズはバスト95 cm、ウエスト58 cm、ヒップ93 cmであったと。当時、私はその深い谷間に顔を埋もれさせ、窒息寸前になりたいと願った(なんてアホな)。当然といえば当然だが、人は自慢できるものを見せたくなる。いきおい、全身や肌の露出度が高くなるのはしかたのないことだろう。

 そんなサンディーの芽が出るのは、久保田麻琴と組んだバンド、サンディー&サンセッツによって世界ツアーを開始した頃からだ。彼らはまず、日本よりも海外での評価が高かったのだ。

 1990年に入るとソロ活動を開始する。プロデュースはもちろん久保田麻琴。91年にリリースされた『パシフィカ』は私の愛聴盤であり、94年にリリースされた『ドリーム・キャッチャー』は海外でも高く評価され、「服部良一音楽祭優秀アルバム賞」を受賞している。夏が近づくとサンディーやビーチ・ボーイズを聴きたくなってくる。

 その後、サンディーは自身のルーツであるハワイ音楽に傾倒していく。現在、彼女は渋谷と横浜にフラスタジオを開設し、フラダンスの普及に務めている。

 

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