全米チャートを席巻したクラシックの定番
現在、最も演奏される機会の多いピアノ協奏曲と言っていいだろう。
私がこの曲を好きになったきっかけは、ネスカフェ・ゴールドブレンドのコマーシャルであった。〝違いのわかる男〟岩城宏之氏が椅子にゆったりと座り、美味しそうにコーヒーを飲んでいるコマーシャルを何度も見るうち、どうしても全曲通して聴きたくなり、リヒテル/カラヤン/ベルリン・フィルのLPを入手した。中学3年か高校1年の夏だった。学生の身分にとってLPは高嶺の花だったが、それだけに手に入れた日は軽い興奮状態が続いた。ためつすがめつジャケットを見ながら、何度も針を落とした。
今でこそ、圧倒的な人気を集めているが、チャイコフスキーがこの曲を発表するまでには紆余曲折があった。
1875年、この作品を仕上げたチャイコフスキーは、友人でありロシアで最も権威のある音楽家ニコライ・ルビンシテインに献呈しようと考え、彼ともう2人の楽友に聞かせたところ、ルビンシテインから酷評されたのである。
「この作品は陳腐で不細工であり、役に立たない代物であり、貧弱な作品で演奏不可能だ。私の意見に従って根本的に書き直したほうがいい」と。
対してチャイコフスキーは「1音符たりとも変えるつもりはない」と烈火のごとく怒り(当然だろう)、ドイツ人のピアニストで指揮者のハンス・フォン・ビューローへ献呈することにした。ビューローはこの作品を「独創的で高貴」と評した。
当時、この協奏曲は絢爛豪華に過ぎ、誇大妄想のようにとらえる音楽家が多かったようだ。たしかに、ブラームスなどチャイコフスキーの前の世代にはなかったタイプの協奏曲である。
その後、ビューローによってアメリカのボストンで演奏され、大成功を収めた。初演がアメリカでなされたからか、あるいは第1回チャイコフスキー国際コンクールでアメリカ人のヴァン・クライバーンが優勝したからか、第2次世界大戦後、アメリカでこの作品の演奏頻度が急増した。そして、クライバーンの演奏によるこの作品は、ビルボードのポップアルバムチャートで1位(しかも7週連続!)を獲得した。いまだにビルボードのチャートで1位を獲得したクラシック作品はほかにひとつもない。
筆力とは何か? と聞かれたある作家が、「筆力とは最初の1行だけで最後まで読ませる力」と答えたといわれるが、それは音楽についても通じる。この作品の有名な導入部、複数のホルンで導かれる第1楽章のはじまりは魅惑に満ち、王者の風格を湛えている。この十数秒だけで、聴く者の耳は強制的に音源に向けられる。
導入部ののち、すぐさまピアノが渾身の力を込めて打鍵し、重厚な和音を奏でる。同時に、弦楽器群が主題を添える。
やがてロシアの民族的で叙情的な調べが奏でられ、大波小波のごとく起伏に富んだ展開をみせる。力強いピアノと管弦楽は時に対峙し、時にやさしく調和しながら対等に渡り合い、膨大なエネルギーを放出する。そして、ソリスト泣かせの(あるいは腕の見せどころの)カデンツァへ移行する。ピアノの独壇場が終わると、再び壮大な協奏となり、威風堂々と楽章を閉じる。
第2楽章は、一転して北の大陸をイメージさせる、美しい緩徐章だ。ピチカートに重ねるフルートの純朴な音色が印象的だ。ワルツ風の中間部も魅力的。
そして第3楽章は、民族舞曲風の形式で烈しく情熱的に展開する。テンポを一気に速めた終盤、ピアノはさらにギヤを上げ、息をつかせぬほどダイナミックにフレーズを奏で、オーケストラを鼓舞し、牽引する。向かうところは、天高い頂上部の一点。あらゆるピアニストに、そこへたどり着きたいと思わせる、恍惚の終点だ。そして、(演奏が良ければという条件がつくが)会場は万雷の拍手に包まれることになる。
余談だが、この作品をさんざんにけなしたニコライ・ルビンシテインは、大いに反省したのか、指揮者としてモスクワでの初演を買って出、その後、ピアノのソリストとしてもたびたびこの作品を取り上げ、普及に努めたという。ルビンシテインとて、意地悪でけなしたわけでもないだろう。この一件からも、それまでの流れから大きくはずれた芸術作品を評価することの難しさを物語っている。逆の言い方をすれば、ハンス・フォン・ビューローの慧眼を讃えるべきだ。
私にとってこの作品の演奏は、多感な頃に数え切れないほど聴いたからか、あくまでもリヒテル/ベルリン・フィル盤が定番だが、それ以外では、イレーナ・ヴェレッド/ロンドン交響楽団盤も愛聴している。
生のコンサートも数しれず聴いたが、文句なしにぶっ飛んだのは反田恭平君によるもの。世代交代を強烈に印象づけられた。
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