心の奥底からの魂の叫び
ビートルズについて考えると、ひとつの疑問にぶつかる。あの4人が1940年から43年にかけて、イギリスのリバプールで生まれたことに、いったいどのような力が作用していたのか、と。彼らがほぼ同時期に、同じ街に生まれる確率は、いったいどれくらいあったのだろう。なぜ1940年から43年にかけてだったのか、なぜリバプールでなくてはならなかったのか。時期や場所がもう少しズレていたら、彼らが邂逅した確率は極端に低くなったはずだ(それと同じように、日本の幕末のある時期、鹿児島の加治屋町と山口の萩に多くの傑物が生まれたこともじつに不思議なことだ)。なにか得体のしれない大きな力が作用し、〝ある役割を担わされて〟この世に生まれ出たとしか考えようがない。
さておき、とりわけジョンとポールが若い時分に出会い、互いの稀なる才能を認め合い、ひとつのバンドを結成したことは、人類にとてつもない文化財産を与えることになる。彼らの音楽を聴いたことによって生じた感動の総量を計測できる機器があったとしたら、天文学的な数字を示すにちがいない。私も無量の感動を呼び醒まされた一人だ。
しかし、ビートルズの解散後のそれぞれの活動は、インパクトの次元が桁外れに小さくなった。ジョンもポールも大仕事を成し遂げたとは言えない。
そんなことを前置きとしつつ、ビートルズ解散後に初めて発表したジョンのソロ・アルバム『ジョンの魂』は、ビートルズ時代にはなかった純粋性と思想性が高いレベルで結実した、稀有な作品である。ひりひりするような肌感覚をともなっていて、利己的だが神々しいほど偽りがない。
本作のレコーディング前、ジョンとヨーコは、原初療法という精神治療を受けていた。それは、心の奥深くに眠っている痛みや劣等感を呼び醒まし、幼少期の記憶にまで遡ってそれらを吐き出すという、心のデトックスともいえる治療法である。このときジョンは、少年時代に母を失った記憶などが明瞭に蘇り、大声を上げて泣き出したという。原初療法の効果が長く続くとは思わないが、当時のジョンにとっては、まさに〝解脱〟するくらいの衝撃だったのだろう(この手法は、現在でも自己啓発セミナーなどで活用されている)。
そういうプロセスがあってこその「マザー(Mother)」だ。鐘の音に導かれ、激しくシャウトするジョン。彼の懊悩が聞こえてくるようだ。
「ゴッド(God)」の歌詞、”God is a concept by which we measure our pain”(神は苦悩の度合いを測る尺度だ)、そして、「I just believe in me, Yoko and me.」という結びは、まさしくその療法で得た境地であろう。
徹頭徹尾、赤裸々な表現によって自らの心の裡を晒けだしたジョンの心境は、ジャケットの写真にも表れている。大きな樹に背中を預けて陽光を浴びるジョンとヨーコ。世俗的なことを超越したオーラが漂っている。
このアルバム中、屈指の名曲といえる「ラブ(Love)」は、誰もが無関心ではいられないのに、それでいて窺いしれないその概念を短い言葉で綴っている。生前、ジョンは松尾芭蕉からヒントを得て作ったと語っているが、これはヨーコが与えた、良い影響といえる。
「マザー」の他にも内省的な作品が多い。一方、「悟り(I Found Out)」は攻撃的でジョンらしい。「労働階級の英雄(Working Class Hero)」や「ウェル・ウェル・ウェル(Well Well Well)」のように政治的なナンバーもあり、その流れは次作の『イマジン』に受け継がれていく。
サウンドはギターとドラム、ベース、ピアノという構成のもと、いたってシンプル。並みのアーティストがカヴァーしても、ペラペラの音楽になってしまうだろう。ポールがより複雑な構成のポップな表現に向かうのと対象的なアプローチだった。どれひとつとしてポップ・チャートに連ねるような曲はない。
「マザー」で幕を開けた本作は、「母の死(Mother’s dead)」というモノローグのような曲で幕を閉じる。
僕の母さんは死んじゃった
ずいぶん昔のことなのに
どうしても信じられないんだ
僕の母さんは死んじゃった
どんなに苦しかったか
とても言葉じゃ説明できない
だから誰にも言えなかったんだ
僕の母さんは死んじゃったって
……と、本作に対しては絶賛に近いが、この作品以降のジョンには、正直、感心できない。「真夜中を突っ走れ!(Whatever Gets You Thru the Night)」「マインド・ゲームス(Mind Games)」「ハッピー・クリスマス(Happy Christmas)」など、優れた曲もあるが……。
世に評価の高い「イマジン」はあまり好きになれない。メロディーは可もなく不可もなし。詞は多くの共感を呼んだが、共産主義者の理想のように空疎に響く。世界平和を訴えていながら、同じアルバムでかつての盟友・ポールをボロクソにけなしているのは、どう好意的にとらえても大人げない。
世間からの反発を受け、反世俗的になるのはやむをえないとしても、ジョンとヨーコは急速にラディカルに、そして悪趣味になっていった。ふたりの全裸写真を公開したり(しかもジョンは性器も露わにして)、ベッドインを世界に中継させるなど。悪趣味以外のなにものでもない。
さらに、長いブランクのあとの『ダブル・ファンタジー』や『ミルク・アンド・ハニー』では、明らかに性交中のヨーコのよがり声を執拗に収録している。悪趣味も極まれり。私は20代前半に作った同人誌で、「ジョン・レノンは自殺したのだ」というエッセイを書いたが、今でもその気持ちは変わらない。
とは言うものの、ジョン・レノンの訃報に接したときの衝撃はすさまじかった。昼間の営業職を終えたあと、ファミレスで皿洗いのバイトを始めて間もなくの頃だった。ボロ雑巾のようにクタクタになって帰宅したあと、ジョンの死を知った。あまりの衝撃に、皿洗いをしているのがアホらしくなり、翌日バイトを辞めた。
そこではたと気づいた。ずっとジョンが好きだったということに。
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