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紺碧の将

長く続くということ

2011.08.02

 16歳の頃以来、ローリング・ストーンズの大ファンである。ストーンズで初めて買ったLPは『ブラック・アンド・ブルー』。イケメン過ぎ、演奏が上手すぎて(クラプトン仕込み!)ストーンズに合わなかったミック・テイラーが脱退し、ロン・ウッドが加入してつくられた最初の作品だった。

 それを聴いたときの感動は今でも明瞭に残っている。まさに、!!!!!!!だった。思わずのけぞった。実際にのけぞったかどうかはわからないが、気持ちは大いにのけぞった。歯切れがよく、しかも重厚なリズムに重なるミックの歌。それまでに聴いたどの音楽ともちがっていた。メロディーがあるようでないような、なんとも形容しがたい唱法と絶妙な間のある音作り。最初の曲は直接脳髄に響いてくるほどファンキーで、ゲストのハーヴィー・マンデルが弾く粘っこいギターワークは、信じられないほどカッコよかった。

 当時の私はサルトル、カミュ、シリトー、アーヴィングなどの近現代文学を貪り読み、とにかく大人っぽい文化に憧れていたが、その頃の私にぴったりフィットした。周りの同級生たちはかぐや姫とかイルカなどを聴いていたが、私はまったく異なる分野の音楽に導かれたのだった。

 以来、35年以上、ずっとストーンズを聴き続けている。もちろん、彼らのアルバムはすべて持っている。大半はLPとCD、ふたつずつ持っている。特に70年代の作品が好きだ。

 厳密にいえば、69年のレット・イット・ブリードから始まり、スティッキー・フィンガーズ、エグザイル・オン・メインストリート、山羊の頭のスープ、イッツ・オンリー・ロックンロール、ブラック・アンド・ブルー、ラヴ・ユー・ライブ、サム・ガールズ、エモーショナル・レスキュー、タトゥー・ユー、そして81年に発売されたスティル・ライフまでの11枚だ。ダーティー・ワーク以降の作品はあまり聴かない。

 来日コンサートも3回行ったが、いずれも満足できる内容ではなかった。結局、私は大のストーンズファンと言いながら、主に70年代の11枚だけを執拗に聴いているのである。それ以降で好きなのは、『Stripped』というライブ盤だけだ。

 長らく疑問があった。どうして、70年代のライブ演奏が映像で発売されていないのだろう、と。

 ところが、ついに発売されたのである。『レディース・アンド・ジェントルメン』と題され、ミック・テイラーが在籍した頃の円熟期だ。曲目から判断するに、『山羊の頭のスープ』をリリースする前のライブだろう。

 しかし、肝心の音源はかなり悪い。これでは大手を振って発売できるものではないと合点した。それでも大満足の高久であった。

 それにしても、デビュー当時のストーンズを見て、50年近くも彼らが活躍すると思った人は皆無だろう。その頃は曲も演奏も稚拙で、ただ反社会的なポーズだけが売りだった。

 まったくわからないものである。彼らも還暦を越えているはず。いったい、ミックやキースが還暦を過ぎてもロックを続けるなど、誰が予想しえただろうか。

 続くものとそうでないもの。その両者を分ける分水嶺はいったい何なのだろう。

 

 ところで、今、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を読んでいる。中学時代に単行本を購入し2度ほど読んだが、大人になってから購入した完全版を念入りに読んでいるのである。

 読んでいて、母の懐に帰るような感懐を覚えた。当時、読んだときの心の高まりが鮮やかに甦ってきたのだ。妹のエミリー・ブロンテの『嵐が丘』を再読したときも感じたことだが、当時の長編小説の完璧なまでの構成力と表現力、そして独自の文体にはただただ驚き、圧倒されるだけだ。会話のひとつひとつが深遠な真理を含み、情景描写はまるでその場に居合わせるかのようなイメージを喚起させる力をもっている。どうして、当時の人はこういう作品を書くことができたのだろう。しかも、シャーロットが30歳のときに書かれた作品である。

 こういうものを味わってしまうと、ハンパなものでは感動しなくなる。困ったものである(と言いながら、じつは困っていない)。

(110802 第270回 写真はローリング・ストーンズのDVD『レディース・アンド・ジェントルメン』))

 

 

 

 

 

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