また政権の使い捨てが始まった
また日本人の政権使い捨てが始まった。
私は菅さんに特別な思い入れはないが、小泉環境相が「批判ばかりされているが、これほど仕事をした政権はない」と言っていることは間違ってはいないと思う。生来の口下手が災いして、「説明責任を果たしていない」ととられがちだったが、わずか1年の間、菅政権はじつに多くの課題に対処してきた。真摯に取り組んできたことはもっと評価されるべきだ。
勘違いしていけないのは、民主主義だからといって野放図に政権を批判すればいいというものではない。日本は国民主権なのだから、本来は国民一人ひとりが政治を担う義務がある。しかし、現実的にすべての有権者が一堂に会してさまざまな政治の決断をするのはできないため、選挙で代議士を選び、〝自分たちの替わりに〟政権を担ってもらっている。そういう認識があれば、ただやみくもに批判していいとは思わないはずだ。代議士の運営に文句があるなら、代案を示すのは当然のことだ。
ところが、多くの国民、メディア、野党は代案を考えることもせず、批判ばかりしている。ただ批判するだけなら、中学生でもできる。現政権のコロナ対策が不満であるなら、では、どうすればいいのかを考え、主張する必要がある。本気で考えれば、「コロナ感染を防ぎ、経済活動を促し、完璧な医療を提供する」を同時に達成する100点満点の政策などありえないことに気づくはずだ。感染を抑えるには従来の「お願いベース」では限界があり、ロックダウンに近い強制的な措置が必要なのは明らかだが、西村大臣が飲食店への納入を止める云々と発言しただけで炎上したことからもわかるように、大多数の国民は私権を制限されることに強い拒否感がある。そういう状況下で、いったい何をすればいいのか。あったら教えてもらいたい。
感染拡大をあくまで東京オリンピック・パラリンピック開催のせいにしたい人もいるようだ。よく目を見開いて現実を見るがいい。
ほんとうにそうであるなら、なぜ東京から遙か離れた九州や四国や北東北でも同時に感染者が増えたのか。しかも無観客だったのに。あの時期、全国的に感染拡大したのは(弱毒化しながら)感染力が高まるというウイルス本来の性質が発現したからだ。
またほんとうにオリンピックが原因であるなら、閉幕後、2週間を過ぎたあたりから感染者が急増しているはずだが、実際は逆に減り始めている。どう考えても理屈に合わない。それでもなお意見を変えない人は、自論によって自縄自縛になっているとしか思えない。
オルテガは、大衆を次のように定義した。
「自分はその他大勢の一員であることを由とし、なんら(政治的な)責任を果たさず、批判だけする人」
そういう人たちが民主主義を操り、破壊的な力をもつというのが『大衆の反逆』の主旨だった。
私は政治家でもなんでもないし政治の要職に就いているわけでもない。しかし、オルテガが言うような大衆の一員にはなりたくない。そういう人たちは、虫酸が走るほど嫌いなのだから。
(210904 第1092回)
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