自民党総裁選に思うこと
本日、岸田政権が発足する。長期安定政権になることを願っているが、望みは薄いと思っている。岸田氏は宰相の器だと思うが、国民(特にマスコミ)が飽きっぽい。政権発足時の新鮮さがなくなるや、すぐさま揚げ足取りに転じる。民主主義政治は60〜70点で満足すべきだが、日本人はいつも「欠けているもの」「できないこと」に着目してしまう。
……と、それはさておき、自民党の総裁選はじつに興味深かった。4人の候補者はいずれも持論を的確に述べ、それぞれのカラーをよく出していた。やはり自民党は人材の層が厚い(それに比べて、野党〝立憲共産党〟のていたらくはなに?)。
なぜか私にも投票券が届いた。そういえば、交誼のある議員から頼まれて入党の書類を書いたことがあると思い出した。もちろん、私が投票したのは、かの人である。しっかりした国家間の持ち主といえば……。
とはいえ、岸田氏に異存はない。彼はジェントルマンであり、深い教養もある。外務大臣のときの実績を鑑みても、そうとうな胆力の持ち主にちがいない。
気になることがあった。全国の党員票はほぼ河野太郎氏に集まったが、議員票はかなり低かったということ。これの意味するところは?
本来であれば、総選挙が近いのだから、民意に近い人を選ぶはず。国民に人気のあるトップを据えて選挙を闘えば明らかに有利になる。
ところが、多くの議員は岸田氏を選んだ。河野氏を選んだ議員は、高市氏よりも少なかった。
ワクチン担当だったことから、メディアでの露出が高まり、はっきりした物言いもあって、国民の人気が高まったのだろう。しかし、それは一過性のもので、早晩、傲慢だの偉そうにしているだのと批判が出ることはまちがいない。
つまり、あるていど河野氏の〝人となり〟を知っている議員たちは彼をトップに推すことを避けたのだ。言い換えれば、河野氏についていこうという人は少なかったということ。
ある日、4氏へのアンケートが新聞に載っていた。4人とも政策はそれぞれきちんと持っていた。興味深かったのは、尊敬する人物は? 愛読書は? 座右の銘は? という問いに対する答えだった。高市氏は尊敬する人物としてマーガレット・サッチャーと松下幸之助(彼女は松下政経塾出身)、愛読書は『サッチャー回顧録』をあげていた。サッチャーこそ政治家の鑑と思っている私にとって胸がスカッとする回答だった。岸田氏は愛読書にドストエフスキーや吉川英治をあげていた。それだけで彼の人となりがわかる。野田聖子氏は愛読書として「総務省 日本の統計」をあげていた。やはりつまらない人だと思った。
ユニークだったのが河野太郎氏。すべて「なし」と答えていたのだ。よほど自信があるのか、自分以外から学ぶことが嫌いなのか。彼の傲慢さが垣間見えた瞬間だった。
本来、ものごとを学べば学ぶほど、わからないことが増えるはず。それを補うのは、偉大な先人たちの行いであり、優れた書物であり、自分の行く末に灯火を向けてくれる言葉なのではないか。そういうものに価値をおかないということは、保守の思想ではない。自分たち現代人の理性ですべてが解決できると思い込んでいる唯物主義者に近い。そんな危惧を抱いたが、総裁選の結果は予想通りとなった。
しかしながら河野太郎、前例や慣習にとらわれない〝変わり者〟にはちがいない。本当の危機に直面したとき、彼のような異才が力を発揮するだろう。それまでわが国のトップにならない(なれない?)のは、まさしく天の配剤という以外にない。
(211004 第1096回)
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