訃報に接する哀しみ
柳生博さんが亡くなったと報じられた。俳優などで活躍した後、〝心身の危険を感じて〟八ヶ岳に雑木林を開き、やがてそれは「八ヶ岳倶楽部」という現代の桃源郷になった。日本野鳥の会の会長としても尽力された。
私は『Japanist』第12号で取材させていただいた他、八ヶ岳倶楽部でも何度かお会いした。同誌のサポーターも快く引き受けてくれた。
いつも満面に笑みを浮かべ、「生きることの本質」をさらりと語り、実行する姿は、まさに人生の良き〝お手本〟だった。
老衰ということがせめてもの慰めである。柳生さんに深刻な病気は似合わないから。
取材で関わった人たちの訃報は、哀しいものである。
作家で医師の見川鯛山さん、作曲家の船村徹氏には取材のほか、著作でも深く関わらせていただいた。元〈マキシム・ド・パリ〉のメートル・ド・テル秋山隆哉さんは横須賀へ移住されてからも銀座が恋しかったらしく、上京する際は必ず声をかけてくれ、ごちそうになった。
「オレはもうあまり食べないから、好きなもの食べなよ」と。そして、昔の銀座界隈の話をしてくれた。警察とヤクザが持ちつ持たれつの関係だったという話はとてもおもしろかった。
小説家の内海隆一郎先生には、晩年をご一緒させていただき、文章の指導も受けた。著作で関わらせていただいた田中束さん、比嘉辰雄さん、木原伸雄さんも他界された。その他、『fooga』や『Japanist』に登場していただいた方の訃報にたびたび接している。
私は、雑誌編集歴が約18年。その間、取材などで出会った人はかなりの数で、友人・知人もけっこう多い。
「長生きすると、友だちを見送らなきゃならないのが嫌だね」と言っていた、ある人の話を思い出した。最近、少しずつその感覚がわかるようになってきた。
(220425 第1125回 写真は『Japanist』時の柳生さん)
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