罪な男、菅野敬一さん
物を買わなくなってから、久しい。以前から物欲の少ない人間だと思っていたが、いよいよ欲しいモノがなくなり、新しくモノを手に入れるという行為に、とんと関心がなくなってしまった。
満ち足りたということが最大の理由だろう。こんなことを書くとヒンシュクを買いそうだが、かつては車を同時に3台所有していた。そのうちの2台がイタリア車という、今思えばとんでもないゼータクをしていた。起業して3年くらいで社屋を造ったり(しかもトレーニングジムやカウンターバー付きというシロモノである)、“自分が住みたい家” をとことん追求した家を造ったことも明らかなゼータクだろう。その結果、わかったことは、「欲しいモノを片っ端から手に入れても、満足度は比例しない」ということだった。むしろ、ある時期からメンテナンスが面倒になったり、明らかにマイナスの気持ちが発生してきた。
それよりも、精神的満足の方に意識は向かっていった。学び、力をつけて仕事の質を上げる→感謝される→嬉しくなってまたまた頑張る→さらに向上する、という好循環のことは、拙著『多樂スパイラル』や『なにゆえ仕事はこれほど楽しいのか』に書いた通りである。
ところが、久しぶりに、モノを手に入れる歓びを味わってしまった。
そのニクき禁断の果実こそが、写真のエアロコンセプトである。以前のこの欄でも書いたが、菅野敬一さんという精密板金職人が「自分の欲しいモノ」というコンセプトで造ったものである。10月に縮緬加工の施してある黒いカバンを手に入れた後、こんどは赤い名刺ケースを手に入れてしまった。
はっきり言って、カッコ良すぎる! 世界の目利きがメロメロになってしまうのがわかる。なぜ、そうなのか? それは、作り手の思い入れだけで造っているからだ。どんな風にすればもっと売れるか? という発想は限りなくゼロに近い。とことん、自分が好きなモノを造っている。その潔さがいい。今の世の中、マーケティング手法に基づいたモノばかりが氾濫しているが、そういうモノはすでに食傷気味だ。いらない。ゴミが増えるだけ。
ところで、私は、菅野さんが明確に「欲しいモノ」の具体性をもっていたことに感嘆する。だって、「あなたの欲しいモノを造ってごらん」と言われて、その具体的なイメージを思い浮かべることのできる人なんて、1万人いたとして果たして何人いるか。おそらく10人くらいではないかと思う。
不肖・私も、自分が読みたい雑誌を作りたいと思い、『Japanist』を創っている。もちろん、動機はそれだけではない。少しは社会のことも考えているつもりだ。自分が今までに培ったもので社会に還元することが正道だと思っているから。
まだまだ、自分が納得できる領域には至っていないが、変な妥協はしないつもりだ。なぜなら、妥協してまで続ける意義がないから。そういう意気込みで創られているモノを買っていただいているということだけで、じつにありがたい。世の中、まだまだ捨てたものじゃないと思える。
モノに興味を失っていた私に火をつけた還暦男・菅野さん。じつに罪な人である。
(111215 第303回 写真はエアロコンセプトの名刺ケース)