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紺碧の将

三成に過ぎたる佐和山の城

2022.08.15

 ――関ヶ原のころ、佐和山は大きな城でな。大手口が東山道沿いにあって、侍屋敷がずっと山の麓までつづいとった。搦め手は琵琶の湖へつながる入り江に開けておった。堀も内、外と二重にあっての、町屋も多くてにぎやかなご城下やった。城は山上にあってな、本丸の五層の天守が遠くからでもよう目立った。

 

『三成の不思議なる条々』(岩井三四二)の一節である。

 東海道新幹線を西に向かうと、関が原を過ぎてすぐ、右手に「佐和山城址」という立て看板が見える。その昔、「三成に過ぎたるものが二つあり。佐和山の城と島の左近」と言われていたそうだが、往時を偲ばせるものはほとんど残っていない。関ヶ原の後、佐和山城は解体され、近くに彦根城が建てられた。その際、石垣から門、櫓までごっそり彦根へ移された。

 彦根城は現在5つある国宝の城のひとつである。いっぽう、佐和山城は見る影もない。しかし、どうしても行ってみたいと思っていた。寂れてしまった山に、往時の姿を思い描くのも一興だ。想像力を働かせれば、どんなものでも絶景になる。

 佐和山の麓に駐車場がある。城跡らしはみじんもない。きれいに整えられた林のなかに、三成像がひっそりとあった。小柄で謹厳実直、天下一の切れ者だったが、人の心が読めないという三成の人となりがよく表れている。

 案内に従って龍澤寺の山門をくぐり、奥へ進んだが、途中から藪が茂り、思うように進めなくなった。

 やむなく引き返す。機会があれば、晩秋から冬にかけてもう一度行ってみたい。

 

緑のなかの三成像。爽やかな風が吹いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中、ナツツバキの花が落ちていた。三成をイメージする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐和山城天守への道。上に行くほど藪が茂っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐和山城址からほど近い彦根城へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天秤櫓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

草茂る石垣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣。やはり美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守より佐和山を望む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彦根城の隣にある玄宮園。遠くに天守閣が見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(220815 第1141回)

 

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