広がる自治体間格差
飯縄山に登った翌日の朝早く、朝食を摂らずに新潟県直江津市へ移動した。直江津駅近辺のファストフードでも食べてから活動を開始しようと思ったのだ。
ところが案に相違して、駅の周りに飲食店がない。ファストフードのチェーン店のみならず立ち食いそば屋もコンビニもない。
しかたなく食べ物を探しながら海岸方面へ歩き始めた。
ずっと寂れた町並みが続き、尋ねようにも歩行者がほとんどいない。こりゃあ食べ物にありつけないかも、と思ったら、ローソンを見つけた。その時の喜びはいかばかりか。そこで買ったものを持って海沿いに行き、美しい日本海の景色を見ながら食べた。
直江津は直江兼続の名を冠している。芭蕉が「奥の細道」で詠んだ場所でもある。それなりに名の通った街だと思っていたが、あまりの寂れ方に言葉を失った(住民の方、ごめんなさい)。
一方、次の日、長野県小布施に移動した。こちらはコロナ禍にもかかわらず多くの人が歩いていた。なにより街が生き生きしている。道端にはゴミひとつなく、どの民家の庭先にも花々が植えられている。行政と住民が一体となって「花のまちづくり」が推進されているのだ。けばけばしい看板も皆無。品のある建物が並び、自販機やコンビニがほとんどない。歩道には地元の名産・栗の木が埋められ、歩くのが楽しくなる。コロナ禍の現在はともかく、いつもなら年間110万人もの観光客が訪れるという。人口わずか1万人の小さな町に、それほど多くの人が訪れるのだ。
訪れる人もおのずと絞られているようだ。小布施と言えば北斎と中島千波と栗が売り。どちらかといえば、軽薄な人より本物を求める人が多いのは当然といえる。
もちろん、自然にそうなったわけではない。地元の桝一市村酒造場の代表者がリーダシップをとって街づくりを進めたという。
直江津駅近辺のメインストリート。こんな街並みが続く
一転して海はきれい
芭蕉の句碑。「文月や六日も常の夜には似ず」
小布施の街並み。清々しい
笹をうまく使っている。美しい
歩道には栗の木が敷かれている。歩くのが楽しい
80歳を過ぎた北斎は小布施の高井鴻山に招かれ、江戸から小布施を歩いて4回も往復した。その頃に描かれた肉筆画が小布施に多く残されている。北斎が天井画を描いた山車も展示されている
高井鴻山記念館
ところで、9月27日に執り行われる安倍元総理の国葬について、ひとこと書いておきたい。
この期に及んで反対を唱えている人が多い。ある調査によれば、半数以上が反対らしい。
これには天国の安倍さんも困惑しているだろう。彼は国葬をしてほしくて粉骨砕身働いたわけではない。ただ国民のためにという一心だったのだ。国民がのんびり休みをとっているときも、安倍さんは世界を股にかけて駆け巡り、各国の首脳と信頼関係を醸成した。以前、外務省の幹部と会ったとき、「安倍さんが首相になってから、仕事が格段にやりやすくなった」と言っていたのが印象に残っている。つまり、信頼関係のベースができているから、さまざまな交渉のテーブルが簡単にセッテイングできたらしい。民主党政権のときとは雲泥の差だった、と。そんなにまでして国に貢献したのに、国民の半分がいろいろな理屈をつけて反対している。皮肉なものである。
立憲民主党の辻元清美や蓮舫は欠席する旨を書いた返信の書面をSNSにあげた。あまりに幼稚な行動に開いた口がふさがらない。狭量で下品で無教養な人間だと自ら暴露しているようなものだ。他方、同じ立民でも、野田元総理は「国葬に欠席するというのは私の人生観と相容れない。国葬に参加し、長い間、お疲れさまでしたと手を合わせたい」と語った。
人間としてどちらがまともだろう。
思えば、辻元清美や蓮舫のような情緒のかけらもない国民が増えたような気がする。やれ税金の無駄遣いだ、やれ憲法違反だ……。心を失い、理屈だけで考える人の哀れな末路だ。
「長い間、お疲れさまでした」と手を合わせるのと、「弔慰を強制するな。税金の無駄遣いだろ。憲法違反だ。安倍は国葬に値しない。桜を見る会の真相はどうなってるんだ。統一教会との関係はどうなんだ……」といきりたっている人とでは、心持ちに雲泥の差があるはずだ。
ま、知ったことではないが。
(220926 第1147回)
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