名前変更のお知らせ
昨年8月1日、わが家に2匹の子猫が来たことは書いた。
おさらいしよう。
今から3年半前に死んだ飼い猫は、禅を語る猫としてその名を全世界にとどろかせた「うーにゃん先生」である。うーにゃんの本名は「海」。そこから派生して、2匹の子猫は「空」「風」と決めた。読みは「くう」「ふう」である。
ところが、昨年の東京オリンピックでの阿部詩選手の活躍を見るにつけ、「東京オリンピックの年にわが家に来たということを忘れないように、風を詩としよう」と、家族会議において満場一致で決めた。ただし、詩の読みは「うた」だから、空の読みも訓読みの「そら」にした。
爾来1年強、こんどは朝井まかての小説に出てくる「う多」という字に惹かれ、名前の表記をひらがなと漢字混じりに変えようと思った。
とことん雅である。娘は執拗に反対しているが、多勢に無勢。決定は覆しようもない。妥協策として、従来の空・詩という表記も認めようという柔軟な(見方によっては玉虫色の)処置をした。
かくして詩は「う多」となり、空は「そ良」となったのである(そ良は芭蕉に同行した曽良にもアナライズしている)。
……とさまざまな思惑が働いて名前は転々としているが、当人たちはまったく気にしていない様子。相変わらず食べて遊んで眠るという生活を謳歌している。
よくよく考えてみれば、猫はすごい生き物だ。なにも役立つことはしないのに(それどころか飼い主に迷惑ばかりかけているのに)、飼い主から無条件に可愛がられている。地球上にそんな生き物はいないだろう。犬がそれに近いが、犬は人間の役に立つこともある。警察犬や盲導犬や狩猟犬はあるが、警察猫や盲導猫や狩猟猫はいない。あらためて、すごい生き物だと感心しきりである。
遊ぶときもいっしょ
トイレを見るときもいっしょ
眠るときもいっしょ
今どきの猫は丸くならない
(221010 第1149回)
髙久の最新の電子書籍
本サイトの髙久の連載記事