戦国の舞台、大垣
前回、伊吹山に登った話を書いたが、その拠点としたのは大垣だった。大垣は、芭蕉の『奥の細道』の最終地でもあるし、関ヶ原の合戦においてはきわめて重要なところだった。
関ヶ原合戦の前日まで、石田三成ら西軍は、大垣城に陣取っていた。当初はこの城で東軍を迎え撃つ算段だったようだ。
しかし、前夜、冷たい雨が降りしきるなか、三成たちは関ヶ原へ向かって移動する。籠城するより、広い平地で短期決戦を挑んだのである。
狙いそのものは、妥当だった。開戦前の陣形を見て、西洋の軍事専門家は十人中十人が、「西軍の勝ち」と言ったという。西軍は関ケ原の周りの小高い丘や山に陣取り、平地を囲むようにして鶴翼の陣を敷いている。対して東軍は平地に密集し、退路も絶たれている。
しかし、結果は皆さんもご存知のとおり。いくさは人間がやるものだから、理論通りにはいかないのだ。
ところで、大垣城。空襲で焼けるまでは国宝だった。周囲は「水の街」を標榜するだけあって、水路がめぐらされ、水門川が流れる(芭蕉は水門川を船で下って伊勢へ向かった)。
大垣は馴染みのない街だったが、行ってみると、なかなかに風情のある街だった。
大垣駅のコインロッカーも戦国モード
大垣城周りの水路
気品ある大垣城
(221024 第1151回)
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