「出会えてよかった」と思えること
新しい年が明けた。と言って、すぐに何かが変わるわけではない。が、ひとつの大きな区切りにはなる。
今年4月で64歳になる。「高齢者」のくくりに入れられてしまうのは目前だ。会社も36歳になる。人間であれば働き盛り。広告・出版を取り巻く社会の環境は激しく変わっているが、そのなかで独自の地歩を築いていきたいと決意を新たにしている。
あらためて思う。これまで生きてきて、なにがもっとも幸せと感じられるか、と。
ひとつは、自分の好きなこと・得意なことを仕事にし、それが一定の成果を残し、だれかから評価されること。「ああ、これを仕事にしてよかった」と思えたとき、幸福を感じることができる。
ひとつは、「これが好きになってよかった」と思えるものがあること。私の場合は、読書と音楽鑑賞がそれで、いずれもその一端を本サイトに連載している。それらはすべて、私の〝親友〟と言っていい。他にも登山や歴史探訪、美しい風景のなかを歩くことなど、楽しみはたくさんある。
そしてもうひとつは、「出会えてよかった」と思える人たちとの交流。
生まれてから今までに、いったいどれくらいの人と出会っているだろう。おそらく1万人は下らないはずだ。しかし、その大半はいま交流がない。学生時代、ともに学んだ人たちや20代に仲間だった人たちとも、まったくと言っていいほど交流がなくなった。50歳のときに始めた『Japanist』の周りには実に多くの人たちがいたが、いまとなってはみんなどこへ行ったのだろう? と訝るほど身のまわりにいなくなった。
そんなものかもしれない。
そう考えると、現在進行形でつきあいのある人たちは、自分の人間関係におけるベスト・オブ・ベストといえる。
端的にいえば、「いっしょに酒を飲みたい」と思える人がどれだけいるかということ。相手が酒を飲めなくてもいい。要は、心を許せる人が何人いるか。
酒を酌み交わすというのは、人間関係のなかで、かなり特殊な関係だと思う。なぜなら、酒を飲んでいるときは、無防備に近い。本音も出る。そういう状況下でいっしょに語りたいと思える人は存外少ないのではないか。
私の場合、パッと頭に浮かぶのは20人前後。それが多いのか少ないのかはわからない。ただ、そういう人たちと出会えてよかったと心底から思えるのだ。彼ら彼女らと過ごす時間はあっという間で、気がつくと5時間くらい過ぎていることがある。まさに「共鳴・共感は時間ドロボー」なのだ。
近年、「孤独」が取りざたされる。その反動か、SNSでは人とのつながりを求めている傾向が多いと言われる。私はSNSをやっていないため、その真意はわからないが、形ばかりのつながりよりも、いっしょに酒を飲みたい(もちろん飲まなくてもいい)人を一人でも二人でもつくる方がいいんじゃない? と思ってしまう。
ま、いいか、そんなことは。
今年もそんな仲間たちと酒席をともにし、たくさん語り合うのだろうなあ。もちろん、仕事も文筆も精力的に続けたい。
2023年、なんとなくいい年になりそうだという実感がある。
(220102 第1161回)
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