早すぎる死
弊社(ジャパニスト株式会社)の唯一のスタッフ・大竹智浩が去る2月10日、急逝した。文字通り、夭折といっていい。
未明、睡眠中の出来事だった。前日までいつもと変わらず仕事をしていた。風邪気味だったことを除いては。それなのに、あまりにも呆気ない最期だった。たぶん、本人も自分が死んだことがわからなかったのではないか。
享年28歳。
理不尽だ。あんなに心根がよく、前途洋々で希望に燃え、能力に恵まれていた青年がなぜ?
今回で12号を数える『Japanist』も最初の4号(1年間)はほぼ私だけで作った。全体の構想、ページ割り、取材依頼、取材、原稿、デザイン・制作、顧客管理、営業のほとんどを一人でこなした。過労で死ぬかと思った。
そんな時に出逢ったのが、大竹だった。そして、第5号から参加してもらった。つまり、今から約2年前だ。若いのに落ち着いていて、なにごとも淡々と受け容れ、教えるそばから吸収していった。本当は35歳くらいなのではないかと思った。
この2年間は、まさしく渇いたスポンジに水がしみ込むように成長した。若いということはこういうことかとまざまざと思い知らされた。なにしろ、飲み込みが早い。技術的なことも『Japanist』独特の志も素直に吸収してくれた。その結果、最近では、多くのページを任せられるようになった。
正直、身内の死よりも愕然とさせられた(もちろん、このことは親族には内緒だが)。
なぜ、彼のような人物がこんなに早く天に召されなければならないのか。答えを捜したが、そんなものが見つかるはずはない。涙がとめどなく溢れてきた。哀しいと思っていなくても涙が溢れてくる。困ったなあ、と思っていたところに、ある心優しい人からメールが届いた。私が落ち込んでいたので、励まそうと思ったのだと思う。
──最近、ある先生から人生における使命について、とても興味深いお話しをおうかがいしました。
私たちは、若くして亡くなった人たちのことを、「使命を全うできずにあの世に行ってしまって、さぞかし無念だったことでしょう」と思いがちですが、とんでもない、と。
早くして使命を全うできたらからこそ、今生でやるべきことをやりきったからこそ、
次のステージにいったのだということでした。
だとすると、大竹さんは、高久さんのもとで、世の中に深く足跡を残すようなことを
思う存分できて、十分満足したからこそ、次の魂に生まれ変わったのではないかと思います。
そんな素晴らしい、高久さんと大竹さんとの共同作品を受け継いでサポートしてくださる良き人材が必ずや見つかると思います──。
この文章を読んで、とても救われた気持ちになった。
他に、亡くなった後の大竹が私宛に書いた手紙という設定で詩を書いて送ってくれた人もいる。
手 紙
突然のことで
すみません
僕も
驚いています
何が起こったのか・・・
迷惑かけて
すみません
僕は
世の中のために
何ができましたか
僕は
世の中のお役に
たてたでしょうか
僕は
幸せでした
広い世界を見れたこと
広い心を持てたこと
あなたが僕のために
泣いてくれている
ただそれだけで
僕は
幸せです
いろいろと
ありがとうございました
それでは
さようなら・・・
おそらく、大竹の魂もそんな風に思っていることだろう。
上記の2つは弔辞の場で読ませてもらった。
多くの人に見送られて、大竹の御魂は天に昇っていった。
合掌
(120214 第318回 写真は『Japanist』第5号の谷村新司氏と中田宏氏対談の取材風景。右端が大竹智浩。大竹の初めての取材体験であった)