シベリア抑留と残忍なロシアの本質
東京駅丸の内南口の「KITTE」地階で「ラーゲリからのメッセージ シベリア抑留の記憶をつなぐ」展が開催されている。
第二次世界大戦の終戦後、日本軍捕虜や民間人約57万5千人がソ連によってシベリアなどへ連行され(右上の絵は、シベリアへ移動させられる日本人)、マイナス30度〜40度という厳寒の環境下でろくに食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことによって約5万8千人が死亡した。
当時、日本とソ連は日ソ不可侵条約を結んでいたが、ソ連は終戦とともにそれを一方的に破り、あげくのはて、そのような蛮行に及んだ。本サイト「死ぬまでに読むべき300冊の本」でも『シベリア不慮記』を紹介している。
この出来事から比べたら、現代の日本人の悩みなんて、すべて霞のようなものだ。
ロシアがウクライナに侵攻して1年が過ぎた。ロシアの本質は、シベリア抑留の頃とちっとも変わっていない。残虐で野蛮、虚言で事実を覆う。いまでもプーチンの言動を見ればわかる。嘘と威嚇の連続である。
そういう国と「話し合いで決着させよ」という人がいる。安倍さんがプーチンと何十回も会談を重ねたが、ついぞ北方領土問題は解決に向けて1ミリも進展しなかった。
ウクライナが抵抗をやめれば戦争が終わるのだから降伏すべきだという人もいる(橋下徹氏もその一人)。戦争が終わったからと言って、平和が訪れるわけではない。敗戦国の国民は、次は新たな戦地へ送られる。送られずとも、圧政化におかれる。そういうことに考えが及ばない橋下氏は政治的に保守と思われているが、とんでもない。彼は法律家に特有の唯物論者で、保守の対極に位置すると言って過言ではない。
ロシアの民族性は、歴史と風土に培われている。大陸にあるため、いろいろな国と国境を接し、ずっと侵略したりされたりだった。国民が選んでいるからか、政権はつねに専制主義で、たびたび国民が大量に粛清される。一人ひとりが残虐でなければ、生き残れないのだ。
それにしても、どうしてもこれほど残虐な国に、世界的な芸術家が生まれるのか。芸術は悪の土壌をも栄養とするのか。よくわからない。
ラーゲリのミニチュア
部屋のなかでも暖房は不十分。衛生状態も悪く、シラミや南京虫、寄生虫や発疹チフスなどの病気も蔓延したという。6畳くらいの部屋に20〜30人が生活していたケースもあったという
労働の様子(丸太を運ぶ)。与えられた食料は、日に黒パン350グラムと薄いスープのみ。みな栄養失調症になった
過酷な労働によって命を落とした日本人を運ぶのも日本人。大地が凍りつき、スコップで穴を掘ることもできなかった
半袖の防寒具。シベリアの冬はマイナス30度〜40度にもなるというのに、この外套の持ち主は飢えに耐えかね、ソ連の労働者が持っていたパンとこの外套の袖を交換したという
白樺の樹皮に書かれた歌。空き缶を加工したペンで煤を水に溶かしてインクにしたらしい。ユネスコ世界記憶遺産に登録されている。死を間近にしながら、歌をつくっていた日本人。なんて教養のある民族なのだろう
(220227 第1169回)
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