狂った桜が散るのは
私は音楽がないと生きていけないほど、音楽が好きだ。タワーレコードのコピーに、「No Music, No Life」というのがあったが、それに近いかも。
しかも、クラシック(バロックから近現代まで)、ジャズ(主にスタンダードジャズ)、ポップスまで、幅広く聴いている。ポップスとひとくちに言っても、米英のロック、リズム&ブルースから中南米、アジア、アフリカなどのワールドミュージックまで、まさに雑食といっていい(※韓国と中国ものは聴かない)。
では、日本のものは聴かないのかといえば、ときどき聴く。
この季節になると、突如、思い出したように、井上陽水の『氷の世界』を引っ張り出して、聴くことがある。私が中学生の頃、発表された作品だ。陽水はある時期を境に、甘ったるくなりすぎて生理的にダメなのだが、この作品にはソリッドで胸に沁みるナンバーがいくつか収録されている。まぎれもなく名盤といっていいだろう。
例えば、『桜三月散歩道』。3月になり、桜も風も狂っていく。その描写がすごい。
ねえ君、二人でどこへ行こうと勝手なんだが、
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば人が死ぬ
町へ行けば人が死ぬ
今は君だけ想って生きよう
だって人が狂い始めるのは
だって狂った桜が散るのは三月
もちろん、現実に桜が発狂することはない。それらを見ている、あるいは感じている人間の心がなんとなく狂っていくのだ。啓蟄を過ぎたあたりの、なんとなく心がザワザワした感じを絶妙に表現している。
さて、この場合の「狂う」とは、通常使われているその言葉の意味とは少し異なると私は思っている。簡単にいえば、冬を終えて、これからいろいろなものがモゾモゾ、ザワザワと動き出す際の、宇宙とのエネルギー交換による「微調整」のようなもの。だから、この季節は、病人にはきつい。健康体の人だって、体調を崩しやすい。陽水はそのあたりのことを、じつに詩的に表現していた。
やっぱり、とんでもない才能だね、この人は。
(120321 第327回 写真は、神代植物園で見た、オモシロイ木)