シナプスのようにつながる会話
月に1度、かれこれ13年くらい通っている男性専科の美容室へ行く。
先日のこと。洗髪台のある空間(ちょっと薄暗くて快適)の片隅に季節の花が活けられているのを見て、「これはアジサイですか」と聞いた。花びらが細かいが、葉の形といい花のつき方といい、アジサイっぽかったからだ。
「そうです。新種のアジサイみたいですね。花がきれいですよね」と美容師さんは答えた。
とっさに私が「花は美しいですよ。宇宙が詰まっていますから」と言うと、彼は「それってどういう意味ですか」と食いついてきた。
ちなみに私は彼を密かに「メンター美容師」と呼んでいる。彼は13年間でめざましい変化(成長)をとげた。自分で学んだことをほかのお客さんに伝えているうち、おのずと影響を与えるような存在になっている。ちなみに、そうなるに至った源泉は「質問力」だと思っている。
そのやりとりからフィボナッチ数列の話になった。
その後、その彼と共通の友人2人を加えて「家飲み」をした。
話題はフィボナッチ数列に始まり、ゆうぽん握手券、ラマヌジャン、アラン・チューリング、渋川春海、近衛前久と秀吉・家康、人の使い方、クラシックの定義、ロストロポーヴィチと今井信子の無伴奏チェロ組曲、カズオさん、清塚信也、酒の発酵、サントリーの「碧」、黒澤明とカズオ・イシグロの『生きる』、樹木希林と黒木華、八味地黄丸、貝原益軒の『養生訓』、……と話題がめまぐるしく展開し、まさに時の過ぎるのを忘れてしまった。
人が人と会って、楽しく有意義な時間を過ごす。そのとき大切なことは「無理がない」ことだろう。そのためには、次から次へと話題が尽きないこと。しかも、人の噂話や昔の話ばかりはご法度(時にはいいとしても)。話題が尽きないためには、それぞれがリベラルアーツに通じていること。そのためには不断の学びと好奇心が欠かせないということ。
そんなことをあらためて思った酒タイムであった。
(220619 第1183回 花はまさしく宇宙の相似型)
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