ケネディが尊敬した日本の政治家
西吾妻山から下山した後、上杉家の諸々にふれたくて米沢へ行った。
上杉家といえば、謙信が春日山城を居城としていたため越後のイメージが強いが、景勝の代になって会津へ移封され、関ケ原の戦いで西軍についたため、戦後、米沢へ減移封となった。
そのとき、景勝は「家臣召し放さず」の方針をとった。自分から去っていった者は別として、リストラをしなかったのである。
常識で考えれば、ありえないことだ。120万石から30万石へ、所領は4分の1に減ってしまったのである。現代でいえば、年商120億円の会社がいきなり30億円に減ってしまったようなもの。会社が存続するためには、収入に見合う規模に縮小するしかない。でも、景勝はそうしなかった。
それから、上杉家は極貧状態が続く。殿様といえども、食事はほぼ庶民と同じ。経費を極端に切り詰め、収入になりそうなことはなんでもやった。それでもなかなか藩の財政は良くならない。
9代目の鷹山になるまで、どのような経緯をたどったかは知らないが、鷹山が藩財政を立て直したことは事実。鷹山は既得権益を打破し、垂範率先して質素な暮らしをし、並行して産業政策を推し進めた。
そんな鷹山を尊敬していたアメリカ人がいた。
ケネディ大統領である。
彼は鷹山を「もっとも尊敬する日本人の政治家」と公言していた。ケネディの娘キャロラインさんが駐日大使だったころ、父と鷹山について米沢で講演したこともある。
米沢へ行ったなら、上杉神社以外にぜひとも訪れてほしいところがある。上杉家廟所。中央に謙信の墓所を配し、左右に歴代の上杉家当主の墓が並んでいる。もちろん、鷹山の墓もある。
杉木立ちのなかにあるこの廟所、いつ訪れても線香が焚かれている。いかに地元の人から愛されているかがわかる。
ちなみに現当主は第17代邦憲氏。文部省宇宙科学研究所出身で、その後、宇宙航空研究開発機構(JAXA)でロケットの開発に従事した。
これだけの廟所を維持するのは大変なことだが、ずっと守り抜いているのが素晴らしい。
上杉神社にある鷹山像
上杉神社の本殿
上杉神社の堀
キャロライン・ケネディ氏講演の記念碑
鷹山といえば「なせばなる〜」
上杉家廟所
(220903 第1190回)
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